NPO法人場作りネット 

目指すのではなく、すでに実現する

のきした始まるーコロナ禍で始まった新しい支援の形ー(2020年度会員報告より)

雨風しのぐ「のきした」はじまる

―コロナ禍ではじまった新しい支援の形―

長野県上田市で、コロナをきっかけに「のきした」という活動が始まりました。女性が500円でゲストハウスに泊まれる「やどかりハウス」。街中の劇場での食糧支援や炊き出しイベント「のきしたおふるまい」。お金ではなく時間を交換することで、繋がり直す「時間銀行」。コロナをきっかけにして、街中に新たな助け合いの文化を広げていくことを目的に、様々な人達との協働で、場作りに取り組んでいます。

2020年4月。緊急事態宣言により自粛を余儀なくされた劇場とゲストハウス(犀の角)を、困っている人達のために活用してくれないかと場作りネットに相談がありました。コロナ以前から、困っている若者のためのシェアハウスを創ろうと、我々が物件を探していたことを覚えていてくれた、犀の角プロデューサー荒井さんからの提案でした。

荒井さんとしては、コロナをきっかけに劇場の新たな役割が模索されることを予感しており、今、困りごとを抱えた人達が、その新たな役割を付与してくれることを期待してのことでした。

我々としても、日頃から「支援者」による支援に限界を感じており、普通の市民が助け合う場を作る必要性を強く感じていたこともあり、協働事業を行うことを快諾。この動きを「のきした」と名付け、立場を越えて様々な人に声をかけ、のきした会議は始まりました。

nokiproject.webnode.jp

「のきした」とは

コロナ禍をきっかけに始まった助け合いの場作りを、私たちは「のきした」と名付け、活動しています。

日本家屋は建物を雨風から守るために屋根を長めに設計し、軒(のき)を作りました。そのことで軒下に空間ができ、そこに縁側が生まれ、縁側から新たな繋がりや、文化が生まれていきました。

このエピソードをヒントに、コロナ禍という雨風が吹き荒れる今、まずは、困っている人が助かるための時間や場を作ること。そしてそこから人間が豊に生きていくための新しい繋がりや文化を見つけていくことを目的に、様々な事業に挑戦しています。

 

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のきした会議風景



やどかりハウス始まる

NPO法人場作りネット×犀の角

やどかりハウスがはじまりました。

期間限定で女性や母子が一泊500円で泊まることができます(最大10日)

ソーシャルワーカーへの生活相談も可能で、今後の生活の相談に応じてくれます。

コロナ禍で、女性の自殺が増加する中、長野県上田市の街中にある犀の角(ゲストハウスや劇場、カフェを運営)が、女性専用ルームを貸してくれます。

運営費は場作りネットの持ち出しと、寄付で賄っています。

お金の目途が立たずに始めました。

これから、寄付を募っていきたいと思いますし、資金確保に走らなくてはなりません。

しかし、必要なことには、臆さず向かっていかなければNPOとしてやっている意味もないので、まずは、市民の協力を得ながら始めます。

支援のルートを整理する会議には、上田市社会福祉課、上田市社会福祉協議会、にんしんSOSながの、信州医療センター、フリーソーシャルワーカーなど、関係者が集まり、協力体制を作ってくれました。

フェイスブックページで頻繁に情報更新しています。

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宿泊の問い合わせはこちらから

やどかりハウスに泊まる :: noki_shita

 

寄付はこちらから

<やどかりハウス>へのご寄附のお願い - 犀の角 SAI NO TSUNO

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信濃毎日新聞2020年12月25日

 

理事紹介

【理事 西山卓郎】長野県上田市にあるオンライン古本屋で働きながら、こちらでも理事として関わらせていただいている西山卓郎と申します。場づくりネットを、いろいろな人に知ってもらいながら、より広く共感と支援をいただけるような場にしていくことで、必要な方に必要な分だけサポートが届く社会に少しでもしていくお手伝いができればと考えております。
どうぞよろしくお願いします。
准認定ファンドレイザー
県立長野図書館協議委員

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理事紹介

【監事 直井恵】
物が溢れる国、手を洗う水さえない国。それがこの地球上の同じ時間に存在していることの不思議に向き合って、30年近く経ちました。何かは変わるだろうと思ってきたけれど、この世界は全く変わらなくて、未だにはびこるあらゆる矛盾を、開発、教育、学び、NGO、若者、アートとさまざまなジャンルからその問い続け、その答えを探し続けてきました。が、未だ解決策はみつかっていません。気づけばNPO歴ばかり長くなって、いつもどこかの間で動き続けています。おかげでいろんなジャンルの方たちとお仕事ができて、それはそれでとても面白い。少しでも、この世界が生きやすくなりますように。引き続きできることを考えていきたいと思います。
直井恵

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【理事紹介】成澤健司

【理事紹介】
場作りネットで理事をさせていただきながら、会社員として働いている成澤健司です。企業で働く前は、NPOにて若年者支援を10年程行っておりました。その経験を活かし、今は場作りネットの相談事業にも携わっています。相談の中で感じることは「孤立」が多くの方々を追い詰めているという事です。相談事業だけでは、その「孤立」に細い糸をつなぐことしかできません。場作りネットはその名の通り、場を作り、人々が集う場、つながる場を作り、孤立を無くしていく事が使命だと考えています。まだ立ち上がったばかりの法人で力不足な部分もありますが、この活動を皆さんと一緒に盛り上げていきたいと考えています。皆様のお力添えを今後ともよろしくお願いいたします。

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【コロナ緊急メール相談開始について】

【コロナ緊急メール相談開始について】

〈生活にお困りの方の無料メール相談〉
info@buzzcre.net  

我々NPO法人場作りネットは、自殺防止対策や、生活相談など、いくつか事業を行っています。
その現場で、今、自殺を考えるまで追い詰められる人が増えています。
コロナウイルスの影響により、時短勤務を余儀なくされ、それまで、何とかギリギリしのいで生き延びていた方々が、瀬戸際に立たされていたり、様々な影響があります。
政府は、有給休暇など対策を進めていますが、問題なのは、休んでも生活が保障されない人達、または、過労死寸前まで負担が増え、休むことができない人達です。
そういう人達が急速に増えており、次々と追い込まれている現実があります。
現場感覚では、ここ数年で一番の緊急事態になるのではないかと感じています。
これだけ危機感が煽られている状況で、ウイルスを怖がるのも無理もないし、自粛の判断も致し方ない状況もあるかもしれません。
しかし、一方で、その防衛自粛は、ともするとウイルスよりも、人の命を危ぶめています。
日本中が災害に近い状態に陥っているように思います。
それは、ウイルスによってではなく、見えないものを恐れる社会の反応によるものです。
我々としては、まずは、この現状を、発信する必要があると思いました。
そして、緊急でメール相談を開始する事にしました。
無料で地域も問いません。

〈生活にお困りの方の無料メール相談〉
info@buzzcre.net

何が出来るか分かりませんが、一緒に考えたいと思います。
この自粛ムードが、1日も早く解けることを願ってやみません。

子ども・若者の自殺考①  ~失われたギャングエイジ~

子ども・若者の自殺考① 

~失われたギャングエイジ~

NPO法人場作りネット副理事長 元島生

 

渋谷の交差点。ハロウィンで仮想して騒ぐ若者たち。20代くらいだろうか。交差点を埋め尽くし、時は今とはしゃいでいる。その光景を見ながら、学童保育の指導員時代を思い出していた。この現象もまた、ギャングエイジの先送りなんじゃないかなと感じる。

 

ギャングエイジというのは、小学校3~4年頃に見られる現象で、子どもの精神的な成長発達において重要な時期を示した発達心理学の言葉だ。それまで親や先生の支配下にいた子供たちが、その支配を離れ、子どもたちだけの世界を作ろうとする。大人の目の届かないところで集団になって、自分たちのルールで遊んだり、悪さしたりするもの。そういう集団の時間を経験することで、心の居場所を作り、仲間意識や、社会性の礎を育んでいく。

僕らの子ども時代は、まだそうした時間はあった。秘密基地を作ったり、子どもだけで遠くに出かけたりした。そこでの時間が、自分の人格形成に大きな影響を与え、今現在も自分を支えていることは、実感としてある。

しかし、近年、子どもたちの発達の過程に、このギャングエイジが喪失したと言われている。そしてそれが、思春期や、その後の人生の躓きを大きくしているという指摘がある。

 

僕が学童保育の指導員だった頃、このギャングエイジ現象に、ずいぶんと手を焼いた。

ある日、高学年の男の子たちが、素晴らしい秘密基地を作ったから見に来いと言う。意気揚々とする子たちに着いて行くと、そこは、立ち入り禁止の柵の中の裏山だった。柵をのり超えていくと、木の上に、竹などを組み合わせツリーハウスさながらの基地が作成されていた。僕が登場すると、基地作成を続けていた子たちは、誇らしげに説明をした。世紀の大発見をしたかのように、新たな使えそうなものを運んでくる低学年の子。大きな声で指示を飛ばす高学年の子。子どもたちの目は輝き、自信に溢れ、生きる喜びに満ちた共同作業(労働)がそこでは行われていた。

 僕はすっかり困ってしまった。こんな素晴らしい時間を過ごしている子たちが、愛おしかった。この時間を保障してやりたかった。

しかし、僕は大人である。社会のルールの中に生きており、ここが立ち入り禁止だという事も守らせなくてはならない。

 素晴らしいものを作ったことへの称賛や、共感をしながらも、場所を移れないか提案をする。しかし、子どもたちは当然、受け入れない。こういう時にまやかしは通用しない。本音でやり取りをしなくてはいけない。子どもたちの主張は、正しい。なぜこの裏山まで大人は奪うのかと問うてくる。僕は反論する言葉を持たなかった。このことは、保護者会でも議論してもらい、当然のごとく、秘密基地は壊され、公園で一日限定の秘密基地が作られることになった。

 僕にとっての、ギャングエイジをめぐる問題は、子どもの成長発達の機会保障と、それを許さない社会との間で、自分がどうふるまうべきかという葛藤だった。自分が大人になりきれないところに手を焼いたのだ。そしてそれは今も、変わらない。

目の届かない場所は、どこもかしこも立ち入り禁止になり、子どもたちがギャングエイジを発揮する場所は、おのずと保育所の中に持ち込まれた。屋根に登る、木に登る、穴を掘る、仲間外れを作る、ルールを破る、いじめをする。

 時間や場所が奪われるごとに、子どもの「表出」の方法は「問題行動」にスライドした。

子どもたちが起こす現象は、子どもにとって、全て必要な現象だ。そこには、何らかの子どもなりの必要性が背景に隠れている。それをどう読んでいくかという営みが保育という仕事だ。

 

学校から保育所に帰宅し、塾までの短い時間を、なんとしても遊ばなくてはいけないという高学年の姿には「何としても」という強さがあった。そこには、子どもの命の要請があった。ルールや協調などは踏みつぶしてでも、そこで精神を安定させなければという危機感を感じた。

健気にも、子どもたちは、なんとしても、安定した成長を遂げたいと、あらゆる手を尽くしている。その表出の形の一つが「いじめ」であり、あらゆる「問題行動」ではないだろうか。

それを、早くから論じていたのは、深谷和子さんで、1986年「いじめ」―青少年の発達危機の考察ーでは、いじめはギャングエイジの今日的な変形された姿だと論じている。

その「今日」から30年以上が過ぎた今日、いじめは未だ無くならず、子どもの自殺は観測史上過去最多となっている。子どもは身を呈して、教えてくれている。いい加減に耳を貸すべきだ。

 

忘れられない光景がある。

塾や習い事がたくさんあり、そういう子どもの時間を過ごせず、問題行動を頻繁に起こす子がいた。

小学校を卒業し中学生になった彼を、夏のある日、街のお祭りでふと見かけた。その子は同性の集団で歩いており、祭の人込みの中、こっそり「かんしゃく玉」(コンクリートに投げつけると爆発音のするおもちゃ)を投げ、逃げていった。その子たちは、笑っていた。その子の少年時代を知る僕は、それを見て「取り戻している」と感じた。

ギャングエイジは社会学で「隙間集団(interestitinal group)」とも呼ばれる。つまりそれは、社会の隙間に自分たちの存在を作る時間とも言える。

その時間を過ごせなかった子たちは、保育所であらゆる形にその表出をスライドさせていったように、その後も、あらゆる形で、その隙間を作ろうとするのではないか。

人込みにかんしゃく玉を投げるのも、渋谷の交差点を埋め尽くすのも、そういうことの象徴に見える。

 

自殺の問題は、あらゆる社会的、歴史的な背景を持っていると感じる。その声に耳を傾け、今、どんな場や時間が僕らの生活に必要なのか、考えていかなくてはならない。

その一つは、子どもたちの時間を取り戻すことだと感じている。子どもが遊べる時間や、場をどう作るか、真剣に考えなくてはならない。例えば、宿題を週一回でいいから無くす。そういう事の方が、相談窓口を作るより簡単で、有効な自殺対策ではないだろうか。

 

何年か前に、横浜でプレイパークという取り組みを見学したことがある。僕が若き日に学童保育で抱えていた葛藤を見事に解決したような場所で、感動した。都会の公園の中で、子どもたちは火を起こし、屋根から飛び降り、基地を作っていた。大人は管理せず、止めず、しかし、見守っていた。

そういう事が大切だと気が付いている大人もいる。力強い取り組みもある。希望を持ちたい。

僕らには、まだまだ出来ることがある。