NPO法人場作りネット 

目指すのではなく、すでに実現する

出会い直しという物語。―おふるまい①―(2020年度会員報告より)

2020年の年末から年始にかけての4日間、上田市の劇場(犀の角)のステージ上に、食料品を並べ、食料支援を行いました。連日、たくさんの人が並びました。しかし、そこで私たちが見たのは、ある境界線でした。

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コロナ禍の年末。劇場のステージで食糧支援。ところが

温かな光景を期待していた私たちは、完全に打ちのめされてしまいました。

我先に、とステージに群がり、何袋も詰め込み、そそくさと立ち去る人達。そこに生まれたのは、はっきりとした「境界線」でした。しかも、有機野菜等は余り、コンビニ商品などジャンク品から消えていく光景。これはどういうことだろう。私たちは、やり方を反省し、次の日から、来てくれた人と、お話をすることにしました。 

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来てくれた外国籍の方ともたくさんお話ししました

そこで見えてきたのは、繋がりの貧困とも言えるものでした。手をかけて作った料理から受け取る愛情。太陽のエネルギーを蓄えた野菜から得られる力。そういう生物として必要なエネルギー交換の循環から、排除された生活のありようでした。しかも、様々な事情で長い間(脈々と)そういう状態であることも聞かれました。ホームレス支援で炊き出しが行われる意味が、よく分かりました。炊き出しは、温かいものを一緒に食べることで、繋がりの世界へ引き戻そうとする行為なのではないか。私たちがやったことは、支援ではなく、とても冷たい行為だったのだと気が付きました。3日目には、一人ひとりとお話した上で、一緒に食料品を選ぶ。4日目には、支援する側とされる側の垣根をなくし、自分たちも一緒に火を囲み、豚汁を食べ、ステージで歌い、書初めをし、食料が欲しい人とは、じっくりお話をする。そういうやり方に変わりました。

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食料支援では険しい顔をしていたの野宿者の方が、豚汁を一緒に食べる中で、とても柔和な顔になり「寿命が30年延びた」と言ってくれ、その後、自分の仕事や生活の話をしてくれました。

もし、あのまま食料を渡すだけだったら、この方を「怖い野宿者」として認識していたかもしれません。一緒に豚汁を食べたことで「街に居る苦労人のおっちゃん」として、私たちは、出会い直すことができたのでした。

4日間が終了し、搬出を終えた帰り道、連日来ていた別の野宿者の方を見かけたので「おっちゃん!」と声を掛けました。すると「おー!終わりか!ご苦労さん!またよろしくな!」と、おっちゃんは、敬礼をしてくれました。その仕草が面白く、私は笑いながら手を振り返しました。その瞬間、この上田の街が私にとって居場所になったように思いました。おっちゃんと出会い直せたこの街が、とても好きになりました。自分の街のように思えました。私たちは「のきした」を創ることを目指していました。しかし、大切なのは「創ること」ではなく「一緒に居る」ことだったのかもしれません。一緒に居られたその時、そこに「のきした」は出来るものなのかもしれません。

コロナ禍の年末年始、街中の劇場でおっちゃん達と、私たちが演じたのは、私たちと社会の新たな「出会い直し」という物語だったのではないかと思っています。

私たちに今必要な場作りとは、こうした「出会い直すための場」なのかもしれないと感じています。

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ステージではライブも

 

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火を囲むという支援の在り方