うえだイロイロ倶楽部はじめます。
新たな「のきした」イロイロ倶楽部が始まります。
子どもや若者を対象とした地域における民間のクラブ活動です。やりたいことを自らが発見し、自らの意思で文化・芸術活動に取り組み、年代や障がいの有無に関わらず、お互いに創造性や社会性を学び合っていきます。子ども若者が街の中で安心して活動できる場となることで、地域社会のつなぎ直しをしていきます。「十人十色」というように、イロイロなこどもがワクワクドキドキしながら、個性豊かな未来の文化の担い手が育っていくことを目指しています。
申し込みは5月17日まで。※多数の場合抽選を行います。
ぜひご参加ください。
おふるまい2ーコロナ禍の場作りー
なぜ劇場なのか(2020年会員報告より)
なぜ劇場なのか
コロナ禍で自殺が増加している。そのことと、我々が支援拠点を、劇場に置き始めたことは、無関係ではないと感じている。
コロナ以後、我々の相談対応件数は倍増した。しかしそれはコロナによる困難というよりも、元々あった困難が、コロナ禍によって出口を無くしているという印象を持っている。つまり、ある「息詰まり」を感じるのだ。
この間、暴力を受けている若者や、女性を立て続けに保護した。明らかに保護が必要な状態にも関わらず、システム(制度・法律)の壁に阻まれて、警察も行政も医療も福祉も、誰も、彼女達を助けられない状況が続き、私は一週間近く家に帰れなかった。
自分たちの仕事の領域を守るために、大人が寄って集って子ども一人守れない。
そういう状況が続いた。しかし、そういった状況自体は今に始まったことではない。これまでも、その壁に立ち向かうのが、我々の仕事の大きい部分ではあった。しかし、コロナ禍でその壁が一層、厚くなっている印象がある。誰もが非難や責任を迫られることを恐れ、壁を厚くしている。そして、何より、そうした壁を、超えるための力、つまり想像力や共感力や協働力、心理的余力が、総じて弱まっている。つまり現実の壁を、誰もが越えがたくなっているという実感があるのだ。
コロナ自粛で演劇が中止され、映画館や美術館が閉鎖されている事。旅行や飲み会が自粛されていること。そういった「不要不急とされてしまったことの不在」と、この「現実の壁を超える力が弱まっている」ことは無関係には思えないのだ。
戦時中に政府はあらゆる表現活動の検閲を行い、戦争賛美以外の物語を禁じた。物語や表現活動は、人々を自由にし、現実を変える力をもたらすものだと、分かっていたのではないだろうか。まさに今、あらゆる表現活動がその場を奪われていることと、我々が現実に抗う力(新しい物語を想像する力)を弱めていることは、そうした状況と重なる。
私たちが、相談支援という現場で、絶望の物語を語る人を前にした時に、出来ることは、同じ人間として隣に座ることだけだ。
自分をまっすぐに語り表現する時間や空間が必要なのであって、それこそが、私たちに本来備わっている力を高めてくれる。
システムが現実を押し潰さんとしている今、私たちには、そのような時間こそ必要である。
人々の悲鳴が数字として表れるとき、支援窓口が増やされる傾向にあるが、本当に今、必要なのは、私たちの暮らしの中にそうした現実を超えるための「空間」や「時間」を作ることなのではないかと感じる。
「助けるシステム」よりも「助かる文化」こそが今、必要だと感じるのだ。
コロナで不要不急と言われ、自粛を迫られた街中の劇場に、今、あらゆる分野の人が集まりだし、そうした問題意識を共有し、困りごとを抱えた人を受け入れはじめたこと。
これまで出会わなかった人たちが、出会い、対話を重ねながら「のきした」という新たな文化が作り直されようとしていること。
そのことに、私は一筋の希望を持っている。
やどかりハウスー街中ののきした。雨風しのぐ宿ー(2020年会員報告より)
やどかりハウス
―街中ののきした。雨風しのぐ宿―
やどかりハウスは、上田市で劇場やゲストハウス等を運営する犀の角と、相談支援を行っている場作りネットの協働事業です。女性や母子が500円で最大10日宿泊でき、昼間ベットルームで休むこともできます。
コロナ禍で女性の自殺が増加。場作りネットに寄せられる相談も、子育ての行き詰り、夫婦関係の悪化、生活困窮など、女性の相談が増えていました。それを受け、ゲストハウスの女性専用ルームを一泊500円で最大10日宿泊でき、必要があれば、各種支援へのつなぎを行う取り組みを、犀の角との協働で開始しました。軽い息抜きから、暴力被害まで、様々な女性の悩みが寄せられ、対応に追われています。
利用されたある女性からのコメントを少し紹介します。
「二日ぶりの我が家は相変わらずで、なんだか竜宮城から帰ってきたのに、何も変わらない浦島太郎の気分です。でも、ダメになった時には、またやどかりに泊まればいいんだと思うと、少しホッとします。やどかりは、困窮されている人だけでなく、私のように普通の生活がしんどい人にとっても朗報になると思います。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」
この方は子育てに行き詰まり、息抜きで利用された方です。宿泊時にはちょうど犀の角でライブイベントが行われており、そちらも参加し、気持ち的にもリセットされたとのことでした。宿泊後は、運営面でも参考になるご意見を頂き、さらに、ご家族も含め、ご寄付をいただきました。
また、やどかりルームに様々な書籍を置くことになり、選書にもご協力いただきました。
こうして、やどかりを必要としてくれた方々と、ともに作っていくことができればと思っています。
やどかりハウスは、場作りネット理事の寄付によってスタートしました。2月に、ながの赤い羽根助成金、長野未来ベースさんの補助を頂くことができ、3月までは何とか運営ができそうです。しかし、4月からは、まだ不透明で、これから寄付を募り、資金が続く限り運営したいと思っています。必要としている人はたくさんおられます。全国で同じような動きが広がることを願ってやみません。まずは、先行事例を作っていきたいと思っています。わずかでも構いません。どうかお力添えをお願いいたします
出会い直しという物語。―おふるまい①―(2020年度会員報告より)
2020年の年末から年始にかけての4日間、上田市の劇場(犀の角)のステージ上に、食料品を並べ、食料支援を行いました。連日、たくさんの人が並びました。しかし、そこで私たちが見たのは、ある境界線でした。
温かな光景を期待していた私たちは、完全に打ちのめされてしまいました。
我先に、とステージに群がり、何袋も詰め込み、そそくさと立ち去る人達。そこに生まれたのは、はっきりとした「境界線」でした。しかも、有機野菜等は余り、コンビニ商品などジャンク品から消えていく光景。これはどういうことだろう。私たちは、やり方を反省し、次の日から、来てくれた人と、お話をすることにしました。
そこで見えてきたのは、繋がりの貧困とも言えるものでした。手をかけて作った料理から受け取る愛情。太陽のエネルギーを蓄えた野菜から得られる力。そういう生物として必要なエネルギー交換の循環から、排除された生活のありようでした。しかも、様々な事情で長い間(脈々と)そういう状態であることも聞かれました。ホームレス支援で炊き出しが行われる意味が、よく分かりました。炊き出しは、温かいものを一緒に食べることで、繋がりの世界へ引き戻そうとする行為なのではないか。私たちがやったことは、支援ではなく、とても冷たい行為だったのだと気が付きました。3日目には、一人ひとりとお話した上で、一緒に食料品を選ぶ。4日目には、支援する側とされる側の垣根をなくし、自分たちも一緒に火を囲み、豚汁を食べ、ステージで歌い、書初めをし、食料が欲しい人とは、じっくりお話をする。そういうやり方に変わりました。
食料支援では険しい顔をしていたの野宿者の方が、豚汁を一緒に食べる中で、とても柔和な顔になり「寿命が30年延びた」と言ってくれ、その後、自分の仕事や生活の話をしてくれました。
もし、あのまま食料を渡すだけだったら、この方を「怖い野宿者」として認識していたかもしれません。一緒に豚汁を食べたことで「街に居る苦労人のおっちゃん」として、私たちは、出会い直すことができたのでした。
4日間が終了し、搬出を終えた帰り道、連日来ていた別の野宿者の方を見かけたので「おっちゃん!」と声を掛けました。すると「おー!終わりか!ご苦労さん!またよろしくな!」と、おっちゃんは、敬礼をしてくれました。その仕草が面白く、私は笑いながら手を振り返しました。その瞬間、この上田の街が私にとって居場所になったように思いました。おっちゃんと出会い直せたこの街が、とても好きになりました。自分の街のように思えました。私たちは「のきした」を創ることを目指していました。しかし、大切なのは「創ること」ではなく「一緒に居る」ことだったのかもしれません。一緒に居られたその時、そこに「のきした」は出来るものなのかもしれません。
コロナ禍の年末年始、街中の劇場でおっちゃん達と、私たちが演じたのは、私たちと社会の新たな「出会い直し」という物語だったのではないかと思っています。
私たちに今必要な場作りとは、こうした「出会い直すための場」なのかもしれないと感じています。