場作りネット 

場作りネット。この世界で生きるための模索。

苦しみから始める

女性被害者とバックラッシュ

最近、気になっていることがある。

女性の権利運動に対する攻撃や、レイプ被害を訴える女性を非難するという人たちの存在。

人権運動という視点で見れば、いわゆるバックラッシュ

それは、人権運動には付き物で、歴史上必ず起こっている現象のようだ。

強い怒りを伴い、黒人運動でもたくさんの人が殺された。

僕自身もレイプ被害を訴える女性の運動を応援し、SNSで記事をシェアしたら、とたんに攻撃を受けた。

「攻撃」と書いたのは、そこに議論の余地がないからだ。

彼らは「論破」という呪文を携え、悪である対象をやっつけようという様相を呈している。

しかし、勇敢な勇者には見えない。

彼らの論破という呪文は、弱者を守るためではなく、むしろ自分たちを守るために、弱者にさえ向けられているように見える。

そして、僕が最も感じるのは、彼らの本当の怒りの対象は、今、目の前で攻撃対象にしている人ではないのではないかということ。僕や女性に向けられているようで、実は違うところに向けられている。彼らは誰と戦っているのだろう。様々な言葉を並べながら、何か別の言葉を語っている。

それが、どういう言葉なのかが気になっていた。

結論から言うと、僕はこの現象は「不全感をジェンダーによって補わざるを得ない人達の怒り」という風に分析している。

「俺たちは強いんだ。だから堂々と生きていていいんだ。」

そう言っているのではないか。

男の子は強くあれと、家庭を持って一人前だと、例えばそういうジェンダー規範に対するバックラッシュを多く含んでいるのではないかと感じている。

 

ジェンダー不全感

 

ジェンダー規範があることによって、生まれる不全感というものがある。

例えば、「30過ぎて家庭を持っていない」、「社会的地位のある仕事についていない」

そんなことは、本来は自由であり、何も惨めに感じる必要はないのだけれど、現に社会にはそういうジェンダー規範は存在し、育った家庭によっては、強化されている。

人によっては、そういう目には見えない要請に答えられないことは、大きな不全感を生むだろう。

そして、その不全感は、やはりジェンダー規範に乗っ取って埋めるしかない。

その規範に強くさらされてきた人ほどである。

例えば、男の子は強くありなさいと育てられたが、強い自己として存在できないことで生まれる不全感があるとする。それを埋めるためには、自分は強い自己だと思いこむ必要がある。そこで必要となるのが「倒すべき悪」の存在だ。さらに「倒すべき悪」は強い方がいい。社会悪という大きな敵に仕立てる必要がある。そうやってある種の政治的アイデンティティを強化し「男性的」なジェンダー不全感(仮にそう呼ぶ)を補っている層がいるように思う。

そういうことを背景にした政治的主張は、他の意見と議論が成立しない。前提が世の中を良くすることではなく、自己の不全感を埋めることが目的だからである。議論というより、自分たちの安全圏を壊そうとする絶対悪を断固許さないというような、色合いを帯びる。

女性が権利を主張することに対して、「許せない」と怒りをあらわにする人たちも、そういったジェンダー不全感を背景にしていると考えられる。

今回の伊藤詩織さんの告発は、現政権にとても近い人物が加害者として登場したため、男性的ジェンダー不全感を、政治的なアイデンティティで埋めてきた人や、ジェンダー規範に対する潜在的怒りを抱えた人達を刺激した。

そういうことではないかと感じている。

 

では、僕自身はどうだろうと考えてみた。

僕は、被害を訴えている女性を中傷したり、怒りをあらわにする男性に、嫌悪感を感じていた。しかし、その正体というか構造が自分の中で合点がいった時、誤解を恐れずに言うと、彼らも僕も同じなのだと感じた。その言動を肯定するという意味ではなく(決して肯定はできない)、僕も彼らも多くの人々も、同じように不全感という苦しみを持つ一人なのだという気がしたのだ。

僕は、たまたま家庭を持つことができた。故にその領域でのジェンダー不全感を回避できた。だから、権利を主張する女性には腹は立たないし、むしろ応援している。

しかし、これが、僕が家庭を持たず、親や社会から「いい歳をして」という目にさらされ「なぜおれだけ」という不全感を抱いていたとしたら、同じように応援できていたかは分からない。

 つまり、そのように、バックラッシュの背景には、いくら理論武装していても、その背景に、何らかの不全感を根拠にした極めて個人的な怒りが、隠れているのだ。

怒りというものは、反射的に沸いてくるものだから、沸いてくること自体は仕方ない。

しかし、沸いてきた時に、その怒りの正体を、冷静に見つける必要がある。

自分は何に対して怒っているのか、それを見つめない限り、無意味に人を傷つけることになる。例えSNSであっても、それは暴力であり、無差別殺人と質的には変わらない。

本当に戦うべき敵とは戦っていないのだ。

そのことを知る必要があるのではないか。

 

不全感を持っているのは誰か

 

僕にも不全感はある。

僕は社会活動を仕事にしている。仕事とプライベートの区別があまりなく、生き方がそのまま仕事になっている。

では、これは、僕が望んだ生き方かと問われれば、表面上はそうであるが、コアなところでは違う。

僕の両親は、障がい者運動の活動家だった。幼い頃、障がい者やその親や支援者たちの中で育った。「人生の勝利者になれ」とか「男らしく強くあれ」とは教えられなかったので、強くなくても、人生がうまくいかなくても、誰かを敵に仕立てる必要はなかったが、「弱い人にやさしくしなさい」と言われて育った。

必然と、そういう仕事を選んできたし、親に認められる生き方を選んできた。

しかし、30も半ばにして、これが、本当に自分の望む生き方かと問う自分が出てきて苦しくなってきた。

そして、僕は、このバックラッシュの問題を考える中で、はたと自分の存在に気が付いたのだ。

僕もまた、彼らと同じように、不全感を埋めたくて、あらゆる言動や生き方を選択してきたに過ぎないのだと。

人間は誰しも不全感を持っており、それを埋めようとして、強くあろうとしたり、やさしくあろうとしたり、社会的立場を得ようとしたり、欲を満たしたり、家庭を持ったり、宗教に入ったり、誰かを非難したり、罵倒したり、いじめたり、殺したり、サリンを撒いたりするのではないか。

 

 僕はこの間の、オウム真理教の教祖含む7名の死刑執行のニュース依頼、名だたる凶悪犯罪者の背景について調べ、思いを巡らせている。

皆、誰と戦ったのだろう。

これまでの文脈で言うならば、誰も、本当の敵とは戦ってはいない。

虐待やDVなど、人格形成に大きな影響を与える時期の排除感は、拭えない不全感をもたらすだろう。

そして、排除は重なる。

重なる世の中になっている。

みな不全感を抱える一人である。そういう意味において、どんな凶悪犯罪者も、僕も、皆、変わらない。

その比重の問題だし、それを強化してしまう社会の問題である。

では、僕らは誰と戦うべきなのだろう。

 

苦しみから始める

 

僕は今、僕らが出来る戦いは「自分たちを知る」という戦いではないかと思っている。

2500年前に始まり形を変えながら世界へ広まった仏教の基本原理は「人生は苦である」という教えである。

僕はこの意味がよく分からなかった。人生には喜びもある。そこを目指してもいいのではないかと思っていた。否定しなくてもいいのではないかと。

しかし、今回この問題を考えるにあたり、自分なりに納得できた。

 つまり、僕ら人間の世界のあらゆる苦しみは、僕らの生にセットされている「不全感」や「苦しみ」の正体を見ようとせず、何かで埋めようとするがために、さらに膨らみ、傷つけ合う構図になっているのではないか。

だから、まず前提として、自分の苦しみの正体を知るということから始めたのではないだろうか。

欲望も執着も怒りも愛情も、すべて苦しさを生んでいく。

だから、それらの正体を知り、まずは自分たちは苦しさを持った存在なんだと正直に気が付くこと。

そして、湧き出てくるあらゆる感情を制して、自分を整えること。

それが大切だと初期仏教では教えているのではないか。

 

 オウム真理教も最初は、純粋にそういうことを考えたのかもしれない。信者たちは真面目な人達だったのではないだろうか。

しかし、大きく間違えていった。人間とは恐ろしいものだと思う。なぜそうなっていったのかは、また別の切り口で考えなくてはいけない。

 

 オウム事件の頃、僕は思春期の入り口だった。

池田小学校の事件で殺された小学生は、僕と同年代だった。

神戸の少年Aも、秋葉原の犯人も僕と同年代だ。

 虐待や性犯罪や、連日、悲惨な事件が続く。震災も含め、人格形成の時期のトラウマを克服していくための、育ちなおす包摂的環境が、どんどんなくなっていることを、僕は強く危惧している。その表れが、若者の自殺や引きこもり、今回のバックラッシュにも表れているように感じる。

 

僕は今、苦しみに帰るべきだと思っている。

僕たちは苦しいんだと、満たされないのだと、正直に語り合うことが、なによりもまず必要だと思っている。

このように、社会的なことを考え、何かアクションを起こそうとすること自体が、僕にとっては、僕自身の不全感を埋める行為であることを自覚しながらも、僕は僕の苦しさに正直になることから始めたいと思っている。

場作りネットレポート 「お座敷処 鳴ル家」

インタビュー 元島生 (場作りネット)

受け手 堀田晶 (お座敷処 鳴ル家)f:id:motoshiman:20170907071932j:plain

 今回は、富山県立山町の「お座敷処 鳴ル家」を取材しました。

富山県をどっしりと支える立山連峰。その立山の水をたっぷりと湛える広大な美しい田んぼ。そんな中に、お座敷処鳴ル家はありました。

 主催しているのは、堀田晶さん(以下晶さん)。ボサボサの髪にひげの40男。

サックスを吹き鳴らし、たばこを吹かすジャズマンである彼は、一見すると厳ついおじさん。ところが、話してみると、まるで立山のようにどっしりと、田んぼのように広大な心を持った人なのでした。

話は、自ずと彼の人生の話、それから現代人の生活の話、場の必要性の話となりました。

僕らが「場」と呼んで、必要としているものは何なのか。

彼の「場作り」の中にも、その音は聞こえていました。

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【言い分シリーズ】

 仲夏のキラキラした田んぼが広がる牧歌的な風景の中、田んぼを見守るように、昔ながらの墓地があり、その向かい側に立つ一軒家。入り口には木の札に「鳴ル家」の文字。

「こんにちわー」インターホンを押して声をかけると「はいよー、上がってー」のんびりとした声。玄関には、ジャズのアーティストだろうか、外国人のポスターや置物。玄関を上がると、すぐに24畳の大座敷に、座布団が並べられている。大き目のソファーの上にはギター。仏間の前にはドラムセット。電子ピアノの後ろには、ライブやイベントのフライヤー。涼しい風と、セミの鳴き声、その中に心地いいジャズが流れている。

田舎のおばあちゃんの家に来たような、ライブハウスに来たような。

 ― 遅くなってすみません

 「おお、ありがとね。今ね、久しぶりに○○から連絡来てさー」

スマホをいじりながら、のんびりと話す晶さん。

一度相談を受けたという、引きこもり気味の若者から連絡が入り、遊ぶ予定を立てているという。

 「こっちで話そうかー」

大座敷の奥にある6畳くらいの部屋に通される。ソファーとパソコンの置いてあるデスク。本棚には、旅の本、音楽の本、心理学、「べてるの非援助論」「種田山頭火の生死」。

「ここ事務所にしててさ、いろいろ来てくれた人とかと話したりしてるんよー」

壁にかけてあるコルクボードには、ライブ告知のフライヤー、生活困窮相談窓口のチラシ、日本画の絵葉書、たくさんのメモ書きの束。

この部屋だけを見て、何をしている人の事務所かを判断するのは至難の業だ。

― あっちの大きな座敷は、どんな風に使ってるんですか?

「座敷はね、たまにスタジオっぽく練習とかに使ったり、ライブやったり、月火水は、ふらっと誰でも来れて、来た人同士が触れ合ったり、座敷を生かした交流スペースみたいな場所になればなって思っとってね。座敷の良さを味わってほしいというか、疲れとったら寝とってもいいし、寂しかったらおったらいいし、あと、この前言っとった(言い分シリーズ)とかいろんな企画やっていきたくてさ」

 言い分シリーズとは、例えば「ホームレスの言い分」とか「行政職員の言い分」とか「引きこもりの言い分」とか、つまり、いろんな立場にある人の言い分を聞いてみる会。誹謗中傷は無し、批判、反論も無しで、本音(言い分)を語れ、聞ける場。

数日前に、そういう企画を考えていると言っていた。

 紆余曲折あって(後述)長年勤めた会社を辞め、現在は、相談支援業務を仕事としながら、場づくりに励んでいる晶さん。いろんな人の相談を受けるたびに、人が分かり合う機会が少ないのではないかと感じてきた。

― 言い分シリーズはおもしろそうですね

「うん。社会全体にさ、情みたいなもんがなさすぎるよね。なんでも立場で縛られて、孤立しとる人いっぱいおるねか(富山弁)。でもそれは立場で縛られとるだけでさ、本音とかで話せばできることいっぱいあるんじゃないかと思うんよね」

― 人として出会う場とか、時間とかが、無くなってきて、分かり合う機会が少なくなってるんですかね。

「おー、そうやと思うよ。実際、俺もたくさん人の相談聞くようになってさ、価値観とか、人の見方変わったからね」

― そうですかー、人の言い分聞くのは大事なことですねー

「そうやと思うわー」

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【鳴ル家を始めたきっかけ】

― そもそも晶さんは、なんで鳴ル家をやろうと思ったんですか?

「もともとは、プライベートで離婚とかいろいろ借金とかいろいろあって、それで家探してた時に、ここが空き家で、縁あって借りさせてもらえたんよ。それで、ここに住みながら、座敷を練習スペースにして、バンドの練習とかしとったんよね。

― そこをコミュニティスペースとして使おうと?

「そう。もともと、人の生き方とか、生活そのものに関心があって、いろんな人の生き方に触れたいという気持ちは大前提あってさ。それこそ、ひとのま(富山県高岡市のコミュニティハウスひとのまhttp://hitonoma.net/。誰でも来れる一軒家。そこで行われた音楽講座で初めて筆者と出会う)に初めて行った時、こういうのもいいなーというのは、なんとなくあったんやけどね。そんなころに娘が不安障害とかになって、不登校になったことが一番大きかったかな。それで、23年働いた会社辞めて、自分で場所を作ろうというのが一番の動機やったと思う。そっから、全国旅して、べてる(北海道浦河の精神障害者の共同生活や仕事作りをしているべてるの家)とか、いろんなとこ見て、さらに衝撃受けて」

― なんるほど。ちょっと情報量が多いので、晶さんの人生年表作ってみていいですか?

「おー、いいね、それ、おもしろそう!」

ということで、鳴ル家設立までの、晶さんの人生の来し方を振り返ってみることになった。

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【孤立は最大の敵】

 小中高と、特に人に自慢するような武勇伝もなく、唯一、吹奏楽を続けたこと達成感としてあった。高校卒業後、電気メーカーに就職。製造や設計の仕事をしながら、音楽も続けた。仕事にバンドに充実した生活を送っていた。

 人の生き方や生活に興味を持ち始めたきっかけは、花屋さんで見かけたライブだった。いつの間にか演奏が始まり、お客さんの反応を見ながら、次々と変化していく演奏。その場でしか作れない音楽がそこにはあった。それは自分がやってきた音楽とは、まったく違うものだった。

 感動を抑えられず、ライブ後に、演奏していた人と話をさせてもらった。演奏後の疲れた状況にも関わらず、たくさん話をしてくれた。 

 そこで、語ってくれた人生観や、音楽観、生活そのものが音になっているところ。それらは今も晶さんの人生観に大きく影響を与えている。

 人はどんな風に生きるんだろう。自分は、どんな生き方ができるんだろう。そこへの関心が、今も活動の根底に流れているそうだ。

 その後、25歳で結婚。家を建て、2人の子供に恵まれる。順風満帆かに思われた人生。しかし、まだまだ大きな音は鳴る。

 夫婦関係に不協和音が流れ始め、新築の家を自分が出て別居。離婚。養育費と新築のローンを払いながらのアパート生活。次第に生活には疲れや孤独がやってくる。バンドでも人間関係が難しくなったり、困難は続く。

「周りには人はいたんよ。わいわいやって、楽しかったけどね。でも孤独やったわ。本音が言える人というか、弱音を言える人がおらんかったんかもね。いらん意地があったね」

 本当につらい部分や弱い部分を人に見せられず、知らず知らずのうちに孤立感が深まり、気が付いたら、それをギャンブルなどお金で解消していた。気が付けば、カードローンは膨らみ、何百万の借金ができていた。

 「このままではいかんと分かってるんやけどね、自分をどっかで肯定しようとしとったんよね。やっぱ孤立が最大の敵やわ」

 借金で身動きが取れなくなり、任意整理という法的な返済期間に入る。

新築のローンは、目途がついていた部分もあり、残りを放棄し、実家にお願いする。その過程で、実家の父親にも「お前はもう死ね」と厳しい言葉もぶつけられる。

 今度は、カードローン、養育費、を払いながらのダブルワーク生活が始まる。寝る間も惜しんで働き続ける生活は辛かった。しかし、これでダメになったら自分は終わりだと思い、必死に耐えた。そんな中でも養育費はきっちり払い、元妻にお金の相談をされたら、送金した。会社のボーナスを返済に充てるなど、真面目に頑張り、返済計画よりも、ずいぶんと速く完済し、銀行員を感心させた。

「逆にこれも意地やろね。あと、これ払わんかったら、もう二度と子供に会えんと思って、がんばったわ」

 長く暗いトンネルを抜け、ほっと一息ついたころ、ずっとお金のこと以外で連絡できなかった元妻とも、なぜか連絡ができるようになる。

「借金の事は、元妻は知らんかったからね。タイミングって不思議やわ」

 そして、ずっと連絡が取れていなかった中学生になる娘からも、突然連絡が入る。

何気ないメールのやり取りをする中で、眠れないこと、学校にも行けていないこと、などを相談してくれた。

「うれしかったよ。よくぞ言ってくれたという感じ」

 その頃、会社の中でも、長年頑張って務めてきた人を簡単に左遷したり、日本社会の世知辛い風が社内にも吹き荒れており、疑問を感じ始めていた。

 自分の周りにも、精神的に病んでしまう人はたくさんいた。

なんとかできないのか。それから、休みの日には、不登校児の居場所や、コミュニティスペースなどを見て回り、話を聞いて回った。その過程で、縁があり、相談支援の仕事に誘われる。

 その後、全国の場を見て回り、帰ってきたからは、相談支援の仕事に関わりながら、鳴ル家の整備や、地元富山のチンドン文化を継承しようと、仲間を集め、チンドンコンクールに出演。それが、話題となり、方々からオファーが来るようになり、地元のおじいちゃんらも声をかけてくれるようになった。f:id:motoshiman:20170907072423j:plain

【そこにあるものを生かす場】

「いやーこうやって振り返ると面白いねー」

― ですね。紆余曲折があったからこそ、今があるという部分もあるんですか?

「そうやね。今、あの時期を潜り抜けたことがエネルギーになっとる部分もあるね。自分もいろいろ失敗してきたからね。困っとる連中の気持ちに共感できる時も多いしね。」

― ギャンブルなど、依存で苦しんでる人は多いですね

「そうそう。今、依存については勉強しとってさ。やっぱ依存の根本には孤立があると思うんよね。自分の実感としてもそれはあるし、相談受けるようになってそれは強く感じるようになったし、その辺の繋がりをもっと勉強して、ここでも何かできないか、いろいろ考えとるよ」

― 困ってしまったり、疲れてしまった人とも、ここで一緒に何かやっていきたいと

「そうやね。まず、一緒に考えてみたいね。ぼーっとしとるでもいいし、話したければ話し聞くし。人生に正解はないからね。商売とかできたらいいなーとかあるけどね。一緒に。」

― いいですね。チンドンもその一環ですか?

「チンドンはね、もともとは、全国を回ってる時、震災後の熊本に行ってね、そこで、たばこ屋のおばちゃんと話してた時、自分の家のことより、熊本城が崩れたことがショックだと言っててさ。あー自分は、地元にあるものに、そんな愛情をもってないと思ってね。それで、自分の出来る事で、なんか地元に恩返しというか、愛情表現できたらいいなと思ったのがきっかけやね。(富山はチンドンが有名で全国のチンドンが集まりその技を競うコンクールが毎年開催されている)」

― それで、出てみたら、思わぬ反応があったと

「そやね、町の公報でとか新聞とかに取り上げられて、それから、町内のおじいさんに話しかけられたりしてね。来週も認知症の人達の駅伝みたいなイベントがあって、そこでやるわ」

― そういう、地域とのふれあいも大事にしたいと

「そうそう。文化とか生活とか、もうそこにあるものやからね。それをもっと生かすようなことがやれたらいいなと。チンドンとか、言い分シリーズやったり、集まる場所やったりして、なんか地元に返していけんかなーと思っとるよ」

― 人も、もともとそこにある資源ですからね

「そうそう。話してみれば、その人の言い分もわかる部分もあるし、いろんな人の生き方が交差する場所になればいいよね。持ちつ持たれつできる場になれば。」

― ありがとうございました。なかなか面白い話でした。まだまだ話足りませんが、また鳴ル家に話に来ます。

「おう、いつでもおいで」

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(写真:左・晶さん、右・筆者)

  すでにそこにある文化。そこにいる人々。そこにある生活。

新しいものばかりを作ろうとせず、今あるものが、ちゃんと出会う機会を作る。

それが、晶さんの場作りのやり方だ。

 この近所に住む人達にとって、晶さんはどんな風に見えているのだろう。

近所のちょっと風変わりな兄ちゃんは、話してみるまでは、何をしでかすか分からない「不安要素」であったかもしれない。しかし、話してみると、「地域資源」でもあった。

 そこにあるのは、「話す」か「話さない」か「知る」か「知らない」かの違いだけだ。

 本当の資源は、補助金で新たに作るものだろうか。それは、すでにそこにあるのかもしれない。

 そこにすでにあるものを、資源として生かすために、必要な仕掛け、機会、時間、それが僕らの求める「場」なのかもしれない。

 これから鳴ル家が作る「場」はどんな音がするだろう。

 それは、きっと懐かしく、心地よい音楽に違いない。

 

お座敷処 鳴ル家 HPはこちら

www.naruya742.com

(長編コラム) かもしれない社会 鹿児島

鹿児島でのこと。

県の生活困窮者支援の担当者向けの研修ということで、呼んでもらった。

前日入りして、今回声をかけてくれたNPOの代表が経営している福祉施設を見学させてもらうおうと、ホテルを出た。

見知らぬ土地で財布を持ち歩くのに気が引けて、僕は1万円札だけポケットに入れてホテルを出た。

ホテルからは市電に乗る必要があったので、駅前の乗り場から乗り込んだ。

1万円札しか持っていないので、すぐ運転席に行き、出発前に1万円を両替できるか聞いた(降りる時に100円~300円程度を払うシステムのため)

「あーどこまで行かれますか?」

「えっと荒田八幡です」

「あーそれならで乗り換えなんで、乗り換えた電車で両替できると思いますんで、そこでやってもらってください」

「あー分かりました。ありがとうございます。

と、そんなやりとりをして電車は出発した。

車掌さんは出発時間は来ているのに、嫌な顔一つせず丁寧に対応してくれた。

なんだか、ゆっくりだなー

これが鹿児島という土地に初めに抱いた感想だった。

このあとそれに追い打ちが続くことになる。

 

乗り換え場所で降りて、乗り換えの停車場を探していたがよくわからない。

キョロキョロしていると、次の電車が入ってきて、窓から車掌さんが声をかけてきた。

「どこまで行くの?」

「荒田八幡です」

「それならあっちだよ」

少し離れた停車場を教えてくれた。

お礼を言ってそこへ向かった。

ますますゆっくりな気持ちになる。

しばらく待って乗り換えの電車が来た。

僕は乗り込み、すぐに運転席に向かった。

「あの1万円両替お願いします」

「あー、ありませんね」

え?

さっき両替出来るって車掌さん言ってたのに…?

僕は少し面食らったが、まぁそもそも小銭をもってきていない僕がいけないんだし、降りるか。

いやいや、でもここまで乗ってきてるし、どうしたらいいだろう。

少々混乱していると

「あの今からお客さんに両替できる人いないか聞いてみますから、いたらその人にやってもらってください」

「え?」

「出発しまーす」

プシュー(ドアの閉まる音)

電車は発車してしまった。僕の脳は鹿児島のゆっくりさに、完全に油断しており、意味を呑み込めず、今度は逆にこの事態に置いて行かれていた。

すると車掌さんがマイクでアナウンスし始めた

「ただいま、1万円の両替を必要としているお客さまがおられます。どなたかお客様の中で両替できる方がいらっしゃいましたら、ご協力お願いします」

うわ~

冷や汗が出た。

恥ずかしいやら、不安やら。

誰も名乗りを上げてくれなかったらどうするんだ…

直視することも出来ず、下を向き、チラチラと車内を見るが、名乗りを上げてくれる人はいなかった。

車掌さんを見るが、落ち着きはらっている。

冷や汗で背中が気持ち悪い。

誰も両替してくれる人は現れない。

人相が悪いからか…偶然誰ももっていないのか…

いやいや、それはどうでもいいが、これどうするんだろう。

終点とかまで行かなきゃいけないかな。

そんなことを考えていた時。

トントンと僕の肩を叩き、若い女性が話しかけてきた。

「あの?一人分ですか?」

その質問もうまく呑み込めないまま答えた。

「あ、はい」

すると

「これよかったら」

といって女性は200円を僕に渡してくれた。

またもや僕はその意図が瞬時には呑み込めなかった。

「ん?え?あ、すみません、いいんですか?」

女性はうなずき、戻っていった。

冷や汗が腰のあたりに流れた。

車掌を見た

「次は荒田八幡、荒田八幡」

実に落ち着きはらっている。

これはいったいなんなんだ。

動揺を抑えつつ、料金表示を見ると、170円。

僕は両替機で200円を両替し、さっきの彼女の所へ行き、逆に肩を叩いた。

「あの、すみません。ありがとうございます」

僕が30円を渡すと、今度は彼女の方が、一瞬意図を呑み込めず

「え?あ、はい」

と受け取った。

それから1~2分くらいで電車は目的地に着いた。

なんと長い1~2分だっただろう。

最後にもう一度声をかけようと思ったが、やめておいた。

周りの目もあるし、何度も声をかけるのは気持ち悪いかもしれない。

思い切ってそのまま電車を降ることにした。

「ありがとうございました~」

車掌よ。

君はなぜ故にそんなに落ち着きはらっているのだ。

そんな不思議に打たれながら。僕は電車を降りたのだった。

 

 電車は行ってしまった。

僕は彼女にどうお礼をすればよいだろう。

連絡先聞いておけばよかった。

いやそれは逆に失礼だろ、若い女性に。

じゃどうすればよかったのだろう。

冷や汗をかいた身体には、さすがの鹿児島の風も冷たかった。

しばらくして、スタッフの人が迎えに来てくれた。

「電車分かりましたー?」

「ええちょっと分からなかったけど。あのね」

僕は迎えに来てくれた女性スタッフに、少々興奮気味に先ほどまでの事を話した。

「あーそれはよく聞きますね」

「え?よくあることなの?」

「そのアナウンスはたまに聞きますね。お金もらうのはレアだと思うんですけど(笑)」

そのことに驚いたが、またその女性スタッフがとても素直でいい人で、素敵な人だった。

施設に着くまでの間、何人かとすれ違っては「お疲れ様でーす」なんて挨拶を交わしている。

「みんな知り合いなの?」

「いやいや(笑)、ちょうどいま退勤時間なんですよ~」

施設に着いてからも、みんないい人で僕を笑わせてくれた。

こうなってはもう、誰を見ても何を見ても感動するモードに入っていたかもしれない。

 

夜。

飲み会も兼ねて、明日の打ち合わせをした。

県の課長さんや、社協の職員さんも来て、

その場で、今日の僕の「鹿児島ショック」を話した。

すると

「あーそれはたまに聞きますね~」

「あ~それね、お金足りなくても(次から払ってね)で、許してくれるんだよ」

もう僕は衝撃がとまらなかった。

話は鹿児島の緩さに及んだ。

タクシーでもメーターが持ち金を超えそうな時、ここら辺でいいですと言うと、運転手さんがどこまでか聞いて、近くであればメーター止めて行ってくれるとか。

代行も持ち金で交渉して、載せてくれることがあるとか。

「まあお金なくても何とかなるかな~という感覚はあるかもね~」

との事。

たしかにその緩さは町全体に漂っている気がした。

そして次の日にもそれを感じさせる場面があった。

駅まで車で迎えに来てもらっており、停車してある車の元へ向かっている時、駅のロータリーにアナウンスが流れた。

「ナンバー○○の車、移動してくださいー」

僕は急いで乗り込んだ。

これもまた、衝撃だった。

早朝からまたもや鹿児島ショックにさらされた。

 

つまり、鹿児島にはあらゆるところに交渉の余地がある。

「お客さんに聞けば誰か両替してくれるかもしれない

という余地

「交渉してみれば、載せてくれるかもしれない

という余

「言えば車をどかしてくれるかもしれない

という余地。

鹿児島には人間という凸凹な生き物に対する「余地」「隙間」「許し」がまだ残っている。

NPO法人ハンズオン埼玉の西川さんの言葉を借りると「あそび」という隙間。

 

日本社会はこの余地をことごとく無くしてきた。

例えば、市電の釣銭が用意されていなかったこと。

これは、利用する消費者からしたら「釣銭を用意していない会社の不備」という風に責任を求めるようになっている。

逆に会社からしたら、(1万円は両替できません)などとあらかじめ明記し「お金をもって来ていない人の自己責任」とする。

つまり、どこをどう切り取ってもどこかに責任の所在があるように作られてきている。

トラブルを未然に防ぐために、あらゆる隙間を埋めてきたことが「自己責任論」を増長させる要因でもある。

それは人間関係の構築にも影響している。

無料通話サービスlineでは、メールを送り、送った相手がメッセージを開くと「既読」という表示が出る。

待ち合わせで来るかも分からぬ相手を待ったり、手紙の返事を今か今かと待ったり。

そういう時間は許されなくなっている。「既読」には読んだからには返事が出来るはずだという責任の所在を明らかにするメッセージが感じられる。

僕自身は市電で両替ができなかった時「かもしれない」と思えなかった。

自己責任だというメッセージに勝手に怯えていた。

車掌の落ち着きには、まぁそんなやつもいるよね、という人間のダメさに対しての許容が、ごく自然にあったのかもしれない。

僕みたいなうっかりした人間がいたとしても、まあ許してもいいんじゃない。

というあそびの部分がシステムの中に許されている。

人口のほとんどいないような島ならそれも分かるが、鹿児島市は人口60万人の市だ。

僕はそこに、なにか希望めいたものを感じていた。

そんな気持ちを持ったまま、研修会場に向かった。

 

生活困窮者支援に関わるあらゆる部署からの報告と、事例を通した研修。

僕は研修を担当した。

実際の事例を通して、グループワークをしてもらった。

そして今回感じたのは、支援の現場にも、隙間を許さないという理論は根深く侵入しているということ。

つまり支援者は、「責任の所在が明らかな事」しか業務として認められない。

行政機関になればそれは顕著に表れる。

しかし、支援者とは、まぎれもなく「人」を相手にする仕事だ。

しかも、その「人」は大方が社会に隙間がないがゆえに、排除された人々である。

支援現場に隙間を取り戻していく。

これはとても大変なことだ。

今回の事例を解き明かしていくと、若き支援者が、業務の範囲を超えたところで相談者と関係を構築していったプロセスが明らかになっていった。

そのプロセスが、相談者にとって必要であったということを言語化できたのはよかった。

つまり「あそんでいる」と同僚から思われているような業務の中に、相談者が安心するポイントがあった。

支援者側に余地(あそび)があった時に、相談者側に生まれた気持ちは「この人に相談したらなんとかなるかもしれない」という余地だったのではないだろうか。

 

人はどんな時に自ら命を絶つのだろう。

お金が無くなった時だろうか。

仕事や友達がいなくなった時だろうか。

それは「まだ大丈夫かもしれない」と思えなくなった時なのではないだろうか。

支援の現場に「かもしれない」という余地、隙間、あそびを取り戻していくことは、そういう意味において、意識される必要がある。

そして言うまでもなく、我々が暮らす社会に、その隙間をどう取り戻していくのかということが、取り組まれる必要がある。

どんな場を作るのか。

どうやって生きていくのか。

僕にとって毎日がその実践の場だ。

 

僕らの生きる道

 

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富山駅の駅地下に越冬物資を届けに行きました。

北陸で野宿生活をするというのは、まさに命がけ。

数日前に、どなたかが路上で亡くなっていたというニュースを見て、いてもたってもいられず、場作りメンバーの晶さんと、駅地下に行ってきました。

 

炊き出しで知り合った野宿のおっちゃんに、防寒のズボンや若干の食料を渡し、いろいろとお話ししました。

富山駅下には、おっちゃんの他にも数人おられますが、込み入った話はしないとのこと。

「みんな触れられたくない事あるからな」

なんとなく、それぞれの事情に気遣いながら生活しているようでした。

 

こういう暮らしをしなければいけない人が日本にはたくさんいます。

僕たち若い世代にも、不安定な状況でしか働き口が無く、結婚もできないという人はたくさんいます。

そして一様に「自分が悪い」と言います。

 

そういう声を聞くたびに僕は悔しくなります。

僕ら世代は、社会からバカにされている

そう思ってしまいます。

 

僕らは僕らの生きる道を作っていくしかない。

新しい働き方や、新しい暮らし方、助け合うコミュニティを作っていく。

 

いろんな縁で出会う人たちと一緒に、来年も場作りチャレンジしていきたいです。

今年もお世話になりました。

来年も紆余曲折!暗中模索!

しかし楽しくやっていきましょう!

どうぞよろしくお願いします!

 

 

 

 

しんどいなぁ会議 忘年鍋

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しんどい人の集まり場「しんどいなぁ会議」

忘年鍋に参加しました。

みんなで買い出し行って、JAZZ聴きながらゆる~く鍋。

しんどい話はもちろん出ますが、いろんな話になり、結構笑ってることが多いな~と思います。

 

来年は、しんどい人の家に行って開催しようという話になりました。

少人数がいいという話にも。

ということで、来年の基本スタイルは、「少人数の出張しんどいなぁ会議」になりそうです。

まぁぼちぼちとやると思います。

しんどい人はぜひどうぞ。

 

今年は「しんどいなぁ女子会」や「しんどいなぁ会議in横浜」も開かれるなど、広がりを見せたしんどいなぁ会議。

いろんな人が主催者になって、いろんな種類の語り合う場が出来ていくといいなと思います。

 

 場作りネットとしても応援していきたいと思います。

 

 

 

居場所コラム(はーとほっとねっと1月号寄稿 元島生)

「おっちゃん!なんでここに住んでんの?」

「ん?なんでやろな~。じゃまか?」
「ううん。別にええよ。俺も後ろに基地作るし」
「さよか。ジュース飲むか?」
「ええの?」
「かまへんよ」
「おおきに」
「おう」


「おっちゃん!おるか?」
「ん?あの時の坊主か」
「おっちゃん。これ預かってくれへん?」
「なんや。テストか」
「うん。家もって帰ったらしこたま怒られんねん」
「捨てたらええやんけ」
「いや、持っててほしいねん」
「まあええよ。そこ置いとき」
「ありがとう」

学校帰り。いつものようにおっちゃんのいる公園に寄った。
柵がしてあり、入れなくなっていた。
おっちゃんのダンボールの家はグチャグチャになって隅っこにあった。

「なあなあおばちゃん。ここ何で入られへんの?」

「あーこれな。ホームレスが住みよるやろ」
「ホームレスてなんや?」
「家無い人の事や」
「家あったやんけ」
「あんなもん家ちゃうわ~。みんな迷惑しとったやろ」
「してへんよ!家壊すなよ!俺の基地もあってんぞ」
「そんなんおばちゃんに言われてもホームレスのせいやがな」
「違うわ!大人のせいやろがい!」

強制撤去が行われたのは、近く国際会議が行われるからだった。
オリンピック開催でも、ホームレスの排除オブジェが作られている。
富山も例外はない。
夜中、駅周辺に水を撒く自治体もある。
公園に住まざるを得なかったおっちゃんの家が強制的に壊される光景。
子どもの居場所と、おっちゃんの居場所は国際会議のために奪われたのだった。
おっちゃんが安心して居れる場所をどう作るか。ではなく、どうやって排除するか。
そういうマインドセットで税金や芸術が使われている間は、どんな居場所を作っても、僕らの社会は居場所のない社会なのではないだろうか。
「持っててほしいねん」
そう言った子どもの心に思いを馳せたい。
我々大人は彼の心の最も大切なところを排除する社会を作ってしまっている。