場作りネット 

場作りネット。この世界で生きるための模索。

【コロナ緊急メール相談開始について】

【コロナ緊急メール相談開始について】

〈生活にお困りの方の無料メール相談〉
info@buzzcre.net  

我々NPO法人場作りネットは、自殺防止対策や、生活相談など、いくつか事業を行っています。
その現場で、今、自殺を考えるまで追い詰められる人が増えています。
コロナウイルスの影響により、時短勤務を余儀なくされ、それまで、何とかギリギリしのいで生き延びていた方々が、瀬戸際に立たされていたり、様々な影響があります。
政府は、有給休暇など対策を進めていますが、問題なのは、休んでも生活が保障されない人達、または、過労死寸前まで負担が増え、休むことができない人達です。
そういう人達が急速に増えており、次々と追い込まれている現実があります。
現場感覚では、ここ数年で一番の緊急事態になるのではないかと感じています。
これだけ危機感が煽られている状況で、ウイルスを怖がるのも無理もないし、自粛の判断も致し方ない状況もあるかもしれません。
しかし、一方で、その防衛自粛は、ともするとウイルスよりも、人の命を危ぶめています。
日本中が災害に近い状態に陥っているように思います。
それは、ウイルスによってではなく、見えないものを恐れる社会の反応によるものです。
我々としては、まずは、この現状を、発信する必要があると思いました。
そして、緊急でメール相談を開始する事にしました。
無料で地域も問いません。

〈生活にお困りの方の無料メール相談〉
info@buzzcre.net

何が出来るか分かりませんが、一緒に考えたいと思います。
この自粛ムードが、1日も早く解けることを願ってやみません。

子ども・若者の自殺考①  ~失われたギャングエイジ~

子ども・若者の自殺考① 

~失われたギャングエイジ~

NPO法人場作りネット副理事長 元島生

 

渋谷の交差点。ハロウィンで仮想して騒ぐ若者たち。20代くらいだろうか。交差点を埋め尽くし、時は今とはしゃいでいる。その光景を見ながら、学童保育の指導員時代を思い出していた。この現象もまた、ギャングエイジの先送りなんじゃないかなと感じる。

 

ギャングエイジというのは、小学校3~4年頃に見られる現象で、子どもの精神的な成長発達において重要な時期を示した発達心理学の言葉だ。それまで親や先生の支配下にいた子供たちが、その支配を離れ、子どもたちだけの世界を作ろうとする。大人の目の届かないところで集団になって、自分たちのルールで遊んだり、悪さしたりするもの。そういう集団の時間を経験することで、心の居場所を作り、仲間意識や、社会性の礎を育んでいく。

僕らの子ども時代は、まだそうした時間はあった。秘密基地を作ったり、子どもだけで遠くに出かけたりした。そこでの時間が、自分の人格形成に大きな影響を与え、今現在も自分を支えていることは、実感としてある。

しかし、近年、子どもたちの発達の過程に、このギャングエイジが喪失したと言われている。そしてそれが、思春期や、その後の人生の躓きを大きくしているという指摘がある。

 

僕が学童保育の指導員だった頃、このギャングエイジ現象に、ずいぶんと手を焼いた。

ある日、高学年の男の子たちが、素晴らしい秘密基地を作ったから見に来いと言う。意気揚々とする子たちに着いて行くと、そこは、立ち入り禁止の柵の中の裏山だった。柵をのり超えていくと、木の上に、竹などを組み合わせツリーハウスさながらの基地が作成されていた。僕が登場すると、基地作成を続けていた子たちは、誇らしげに説明をした。世紀の大発見をしたかのように、新たな使えそうなものを運んでくる低学年の子。大きな声で指示を飛ばす高学年の子。子どもたちの目は輝き、自信に溢れ、生きる喜びに満ちた共同作業(労働)がそこでは行われていた。

 僕はすっかり困ってしまった。こんな素晴らしい時間を過ごしている子たちが、愛おしかった。この時間を保障してやりたかった。

しかし、僕は大人である。社会のルールの中に生きており、ここが立ち入り禁止だという事も守らせなくてはならない。

 素晴らしいものを作ったことへの称賛や、共感をしながらも、場所を移れないか提案をする。しかし、子どもたちは当然、受け入れない。こういう時にまやかしは通用しない。本音でやり取りをしなくてはいけない。子どもたちの主張は、正しい。なぜこの裏山まで大人は奪うのかと問うてくる。僕は反論する言葉を持たなかった。このことは、保護者会でも議論してもらい、当然のごとく、秘密基地は壊され、公園で一日限定の秘密基地が作られることになった。

 僕にとっての、ギャングエイジをめぐる問題は、子どもの成長発達の機会保障と、それを許さない社会との間で、自分がどうふるまうべきかという葛藤だった。自分が大人になりきれないところに手を焼いたのだ。そしてそれは今も、変わらない。

目の届かない場所は、どこもかしこも立ち入り禁止になり、子どもたちがギャングエイジを発揮する場所は、おのずと保育所の中に持ち込まれた。屋根に登る、木に登る、穴を掘る、仲間外れを作る、ルールを破る、いじめをする。

 時間や場所が奪われるごとに、子どもの「表出」の方法は「問題行動」にスライドした。

子どもたちが起こす現象は、子どもにとって、全て必要な現象だ。そこには、何らかの子どもなりの必要性が背景に隠れている。それをどう読んでいくかという営みが保育という仕事だ。

 

学校から保育所に帰宅し、塾までの短い時間を、なんとしても遊ばなくてはいけないという高学年の姿には「何としても」という強さがあった。そこには、子どもの命の要請があった。ルールや協調などは踏みつぶしてでも、そこで精神を安定させなければという危機感を感じた。

健気にも、子どもたちは、なんとしても、安定した成長を遂げたいと、あらゆる手を尽くしている。その表出の形の一つが「いじめ」であり、あらゆる「問題行動」ではないだろうか。

それを、早くから論じていたのは、深谷和子さんで、1986年「いじめ」―青少年の発達危機の考察ーでは、いじめはギャングエイジの今日的な変形された姿だと論じている。

その「今日」から30年以上が過ぎた今日、いじめは未だ無くならず、子どもの自殺は観測史上過去最多となっている。子どもは身を呈して、教えてくれている。いい加減に耳を貸すべきだ。

 

忘れられない光景がある。

塾や習い事がたくさんあり、そういう子どもの時間を過ごせず、問題行動を頻繁に起こす子がいた。

小学校を卒業し中学生になった彼を、夏のある日、街のお祭りでふと見かけた。その子は同性の集団で歩いており、祭の人込みの中、こっそり「かんしゃく玉」(コンクリートに投げつけると爆発音のするおもちゃ)を投げ、逃げていった。その子たちは、笑っていた。その子の少年時代を知る僕は、それを見て「取り戻している」と感じた。

ギャングエイジは社会学で「隙間集団(interestitinal group)」とも呼ばれる。つまりそれは、社会の隙間に自分たちの存在を作る時間とも言える。

その時間を過ごせなかった子たちは、保育所であらゆる形にその表出をスライドさせていったように、その後も、あらゆる形で、その隙間を作ろうとするのではないか。

人込みにかんしゃく玉を投げるのも、渋谷の交差点を埋め尽くすのも、そういうことの象徴に見える。

 

自殺の問題は、あらゆる社会的、歴史的な背景を持っていると感じる。その声に耳を傾け、今、どんな場や時間が僕らの生活に必要なのか、考えていかなくてはならない。

その一つは、子どもたちの時間を取り戻すことだと感じている。子どもが遊べる時間や、場をどう作るか、真剣に考えなくてはならない。例えば、宿題を週一回でいいから無くす。そういう事の方が、相談窓口を作るより簡単で、有効な自殺対策ではないだろうか。

 

何年か前に、横浜でプレイパークという取り組みを見学したことがある。僕が若き日に学童保育で抱えていた葛藤を見事に解決したような場所で、感動した。都会の公園の中で、子どもたちは火を起こし、屋根から飛び降り、基地を作っていた。大人は管理せず、止めず、しかし、見守っていた。

そういう事が大切だと気が付いている大人もいる。力強い取り組みもある。希望を持ちたい。

僕らには、まだまだ出来ることがある。

 

 

のきした、はじめました。

若者の自殺が過去最多となりました。

相談支援の拡充と反比例して、死を選ぶ若者は増え続けています。

そうした中、場作りネットでは、若者向けの相談事業を「若者自身と一緒に行う」ということに、一昨年からチャレンジしてきました。

https://www.n-fukushi.ac.jp/ad/love/interview/index05.html

それは、「相談現場を意味あるものにするため」というよりも、「若者たちと一緒に、今なにが必要なのかを考えたい」という気持ちでした。

福祉系大学に協力を依頼し、若者に集まってもらい、1年半、相談現場を一緒に作ってきました。

専門職も含めたいろんな大人たちと、若者が、対等に意見交換をしながら、相談してきてくれた人と一緒に、何かを見つけていくということを目指し、日々取り組んできました。

見えてきたことは、たくさんありました。

それは、大人も子どもも関係なく、みんなで、この社会に生きる自分自身を、見るけるような毎日でした。

 

そして、若者がとても追い詰められている現実も見えてきました。

 

・若者は「支援臭」がする大人には、本当のことなど相談しないこと

・チャットを頼り、詐欺や搾取など被害に巻き込まれていること

・親との関係に苦しんでおり、経済的にも逃れる術がない事

・いじめやパワハラ被害で追い詰められていること

・ねばならないから離れられないこと

 

そうした現実に、日々触れるなかで、何に今取り組む必要があるのか、それもまた見えてきました。

取り組みを始めて一年半、新たに、プロジェクトを立ち上げることになりました。

f:id:buzzcre8net:20191020065511j:plain

 

 

プロジェクト名は「のきした」

 

そんな名前の家を、作ってみよう。

 

ひとまず雨や風をよける家。

そこから何かをはじめたり。

しばらく何もしなかったり。

泊まれて、住めて、立ち寄れて。

誰の家でもない家。

社会の軒下。

 

そういう家を作るというチャレンジをしてみたいと思います。

 

軒(のき)は強い日差しに対し影をつくり、激しい風雨から壁面や開口を保護する役割があり、日本家屋は、軒があることで、縁側が生まれ、屋内と屋外をつなぐ空間ができたとのこと。

社会にそういう「隙間」が無くなってきています。

電車に飛び込むのも、交差点に突っ込むのも、隙間のない社会への最後の抵抗に見えてしかたないです。

どうせ隙間を作るなら、楽しく作ってみたいと思います。

 

そこから、また何か始まるといいなと思います。

 

さて、楽しくなってきた。

 

f:id:buzzcre8net:20191020072507j:plain



f:id:buzzcre8net:20191020065441j:plain



苦しみから始める

女性被害者とバックラッシュ

最近、気になっていることがある。

女性の権利運動に対する攻撃や、レイプ被害を訴える女性を非難するという人たちの存在。

人権運動という視点で見れば、いわゆるバックラッシュ

それは、人権運動には付き物で、歴史上必ず起こっている現象のようだ。

強い怒りを伴い、黒人運動でもたくさんの人が殺された。

僕自身もレイプ被害を訴える女性の運動を応援し、SNSで記事をシェアしたら、とたんに攻撃を受けた。

「攻撃」と書いたのは、そこに議論の余地がないからだ。

彼らは「論破」という呪文を携え、悪である対象をやっつけようという様相を呈している。

しかし、勇敢な勇者には見えない。

彼らの論破という呪文は、弱者を守るためではなく、むしろ自分たちを守るために、弱者にさえ向けられているように見える。

そして、僕が最も感じるのは、彼らの本当の怒りの対象は、今、目の前で攻撃対象にしている人ではないのではないかということ。僕や女性に向けられているようで、実は違うところに向けられている。彼らは誰と戦っているのだろう。様々な言葉を並べながら、何か別の言葉を語っている。

それが、どういう言葉なのかが気になっていた。

結論から言うと、僕はこの現象は「不全感をジェンダーによって補わざるを得ない人達の怒り」という風に分析している。

「俺たちは強いんだ。だから堂々と生きていていいんだ。」

そう言っているのではないか。

男の子は強くあれと、家庭を持って一人前だと、例えばそういうジェンダー規範に対するバックラッシュを多く含んでいるのではないかと感じている。

 

ジェンダー不全感

 

ジェンダー規範があることによって、生まれる不全感というものがある。

例えば、「30過ぎて家庭を持っていない」、「社会的地位のある仕事についていない」

そんなことは、本来は自由であり、何も惨めに感じる必要はないのだけれど、現に社会にはそういうジェンダー規範は存在し、育った家庭によっては、強化されている。

人によっては、そういう目には見えない要請に答えられないことは、大きな不全感を生むだろう。

そして、その不全感は、やはりジェンダー規範に乗っ取って埋めるしかない。

その規範に強くさらされてきた人ほどである。

例えば、男の子は強くありなさいと育てられたが、強い自己として存在できないことで生まれる不全感があるとする。それを埋めるためには、自分は強い自己だと思いこむ必要がある。そこで必要となるのが「倒すべき悪」の存在だ。さらに「倒すべき悪」は強い方がいい。社会悪という大きな敵に仕立てる必要がある。そうやってある種の政治的アイデンティティを強化し「男性的」なジェンダー不全感(仮にそう呼ぶ)を補っている層がいるように思う。

そういうことを背景にした政治的主張は、他の意見と議論が成立しない。前提が世の中を良くすることではなく、自己の不全感を埋めることが目的だからである。議論というより、自分たちの安全圏を壊そうとする絶対悪を断固許さないというような、色合いを帯びる。

女性が権利を主張することに対して、「許せない」と怒りをあらわにする人たちも、そういったジェンダー不全感を背景にしていると考えられる。

今回の伊藤詩織さんの告発は、現政権にとても近い人物が加害者として登場したため、男性的ジェンダー不全感を、政治的なアイデンティティで埋めてきた人や、ジェンダー規範に対する潜在的怒りを抱えた人達を刺激した。

そういうことではないかと感じている。

 

では、僕自身はどうだろうと考えてみた。

僕は、被害を訴えている女性を中傷したり、怒りをあらわにする男性に、嫌悪感を感じていた。しかし、その正体というか構造が自分の中で合点がいった時、誤解を恐れずに言うと、彼らも僕も同じなのだと感じた。その言動を肯定するという意味ではなく(決して肯定はできない)、僕も彼らも多くの人々も、同じように不全感という苦しみを持つ一人なのだという気がしたのだ。

僕は、たまたま家庭を持つことができた。故にその領域でのジェンダー不全感を回避できた。だから、権利を主張する女性には腹は立たないし、むしろ応援している。

しかし、これが、僕が家庭を持たず、親や社会から「いい歳をして」という目にさらされ「なぜおれだけ」という不全感を抱いていたとしたら、同じように応援できていたかは分からない。

 つまり、そのように、バックラッシュの背景には、いくら理論武装していても、その背景に、何らかの不全感を根拠にした極めて個人的な怒りが、隠れているのだ。

怒りというものは、反射的に沸いてくるものだから、沸いてくること自体は仕方ない。

しかし、沸いてきた時に、その怒りの正体を、冷静に見つける必要がある。

自分は何に対して怒っているのか、それを見つめない限り、無意味に人を傷つけることになる。例えSNSであっても、それは暴力であり、無差別殺人と質的には変わらない。

本当に戦うべき敵とは戦っていないのだ。

そのことを知る必要があるのではないか。

 

不全感を持っているのは誰か

 

僕にも不全感はある。

僕は社会活動を仕事にしている。仕事とプライベートの区別があまりなく、生き方がそのまま仕事になっている。

では、これは、僕が望んだ生き方かと問われれば、表面上はそうであるが、コアなところでは違う。

僕の両親は、障がい者運動の活動家だった。幼い頃、障がい者やその親や支援者たちの中で育った。「人生の勝利者になれ」とか「男らしく強くあれ」とは教えられなかったので、強くなくても、人生がうまくいかなくても、誰かを敵に仕立てる必要はなかったが、「弱い人にやさしくしなさい」と言われて育った。

必然と、そういう仕事を選んできたし、親に認められる生き方を選んできた。

しかし、30も半ばにして、これが、本当に自分の望む生き方かと問う自分が出てきて苦しくなってきた。

そして、僕は、このバックラッシュの問題を考える中で、はたと自分の存在に気が付いたのだ。

僕もまた、彼らと同じように、不全感を埋めたくて、あらゆる言動や生き方を選択してきたに過ぎないのだと。

人間は誰しも不全感を持っており、それを埋めようとして、強くあろうとしたり、やさしくあろうとしたり、社会的立場を得ようとしたり、欲を満たしたり、家庭を持ったり、宗教に入ったり、誰かを非難したり、罵倒したり、いじめたり、殺したり、サリンを撒いたりするのではないか。

 

 僕はこの間の、オウム真理教の教祖含む7名の死刑執行のニュース依頼、名だたる凶悪犯罪者の背景について調べ、思いを巡らせている。

皆、誰と戦ったのだろう。

これまでの文脈で言うならば、誰も、本当の敵とは戦ってはいない。

虐待やDVなど、人格形成に大きな影響を与える時期の排除感は、拭えない不全感をもたらすだろう。

そして、排除は重なる。

重なる世の中になっている。

みな不全感を抱える一人である。そういう意味において、どんな凶悪犯罪者も、僕も、皆、変わらない。

その比重の問題だし、それを強化してしまう社会の問題である。

では、僕らは誰と戦うべきなのだろう。

 

苦しみから始める

 

僕は今、僕らが出来る戦いは「自分たちを知る」という戦いではないかと思っている。

2500年前に始まり形を変えながら世界へ広まった仏教の基本原理は「人生は苦である」という教えである。

僕はこの意味がよく分からなかった。人生には喜びもある。そこを目指してもいいのではないかと思っていた。否定しなくてもいいのではないかと。

しかし、今回この問題を考えるにあたり、自分なりに納得できた。

 つまり、僕ら人間の世界のあらゆる苦しみは、僕らの生にセットされている「不全感」や「苦しみ」の正体を見ようとせず、何かで埋めようとするがために、さらに膨らみ、傷つけ合う構図になっているのではないか。

だから、まず前提として、自分の苦しみの正体を知るということから始めたのではないだろうか。

欲望も執着も怒りも愛情も、すべて苦しさを生んでいく。

だから、それらの正体を知り、まずは自分たちは苦しさを持った存在なんだと正直に気が付くこと。

そして、湧き出てくるあらゆる感情を制して、自分を整えること。

それが大切だと初期仏教では教えているのではないか。

 

 オウム真理教も最初は、純粋にそういうことを考えたのかもしれない。信者たちは真面目な人達だったのではないだろうか。

しかし、大きく間違えていった。人間とは恐ろしいものだと思う。なぜそうなっていったのかは、また別の切り口で考えなくてはいけない。

 虐待や性犯罪や、連日、悲惨な事件が続く。震災も含め、人格形成の時期のトラウマを克服していくための、育ちなおす包摂的環境が、どんどんなくなっていることを、僕は強く危惧している。その表れが、若者の自殺や引きこもり、今回のバックラッシュにも表れているように感じる。

 

僕は今、苦しみに帰るべきだと思っている。

僕たちは苦しいんだと、満たされないのだと、正直に語り合うことが、なによりもまず必要だと思っている。

このように、社会的なことを考え、何かアクションを起こそうとすること自体が、僕にとっては、僕自身の不全感を埋める行為であることを自覚しながらも、僕は僕の苦しさに正直になることから始めたいと思っている。

場作りネットレポート 「お座敷処 鳴ル家」

インタビュー 元島生 (場作りネット)

受け手 堀田晶 (お座敷処 鳴ル家)f:id:motoshiman:20170907071932j:plain

 今回は、富山県立山町の「お座敷処 鳴ル家」を取材しました。

富山県をどっしりと支える立山連峰。その立山の水をたっぷりと湛える広大な美しい田んぼ。そんな中に、お座敷処鳴ル家はありました。

 主催しているのは、堀田晶さん(以下晶さん)。ボサボサの髪にひげの40男。

サックスを吹き鳴らし、たばこを吹かすジャズマンである彼は、一見すると厳ついおじさん。ところが、話してみると、まるで立山のようにどっしりと、田んぼのように広大な心を持った人なのでした。

話は、自ずと彼の人生の話、それから現代人の生活の話、場の必要性の話となりました。

僕らが「場」と呼んで、必要としているものは何なのか。

彼の「場作り」の中にも、その音は聞こえていました。

f:id:motoshiman:20170907072116j:plain

【言い分シリーズ】

 仲夏のキラキラした田んぼが広がる牧歌的な風景の中、田んぼを見守るように、昔ながらの墓地があり、その向かい側に立つ一軒家。入り口には木の札に「鳴ル家」の文字。

「こんにちわー」インターホンを押して声をかけると「はいよー、上がってー」のんびりとした声。玄関には、ジャズのアーティストだろうか、外国人のポスターや置物。玄関を上がると、すぐに24畳の大座敷に、座布団が並べられている。大き目のソファーの上にはギター。仏間の前にはドラムセット。電子ピアノの後ろには、ライブやイベントのフライヤー。涼しい風と、セミの鳴き声、その中に心地いいジャズが流れている。

田舎のおばあちゃんの家に来たような、ライブハウスに来たような。

 ― 遅くなってすみません

 「おお、ありがとね。今ね、久しぶりに○○から連絡来てさー」

スマホをいじりながら、のんびりと話す晶さん。

一度相談を受けたという、引きこもり気味の若者から連絡が入り、遊ぶ予定を立てているという。

 「こっちで話そうかー」

大座敷の奥にある6畳くらいの部屋に通される。ソファーとパソコンの置いてあるデスク。本棚には、旅の本、音楽の本、心理学、「べてるの非援助論」「種田山頭火の生死」。

「ここ事務所にしててさ、いろいろ来てくれた人とかと話したりしてるんよー」

壁にかけてあるコルクボードには、ライブ告知のフライヤー、生活困窮相談窓口のチラシ、日本画の絵葉書、たくさんのメモ書きの束。

この部屋だけを見て、何をしている人の事務所かを判断するのは至難の業だ。

― あっちの大きな座敷は、どんな風に使ってるんですか?

「座敷はね、たまにスタジオっぽく練習とかに使ったり、ライブやったり、月火水は、ふらっと誰でも来れて、来た人同士が触れ合ったり、座敷を生かした交流スペースみたいな場所になればなって思っとってね。座敷の良さを味わってほしいというか、疲れとったら寝とってもいいし、寂しかったらおったらいいし、あと、この前言っとった(言い分シリーズ)とかいろんな企画やっていきたくてさ」

 言い分シリーズとは、例えば「ホームレスの言い分」とか「行政職員の言い分」とか「引きこもりの言い分」とか、つまり、いろんな立場にある人の言い分を聞いてみる会。誹謗中傷は無し、批判、反論も無しで、本音(言い分)を語れ、聞ける場。

数日前に、そういう企画を考えていると言っていた。

 紆余曲折あって(後述)長年勤めた会社を辞め、現在は、相談支援業務を仕事としながら、場づくりに励んでいる晶さん。いろんな人の相談を受けるたびに、人が分かり合う機会が少ないのではないかと感じてきた。

― 言い分シリーズはおもしろそうですね

「うん。社会全体にさ、情みたいなもんがなさすぎるよね。なんでも立場で縛られて、孤立しとる人いっぱいおるねか(富山弁)。でもそれは立場で縛られとるだけでさ、本音とかで話せばできることいっぱいあるんじゃないかと思うんよね」

― 人として出会う場とか、時間とかが、無くなってきて、分かり合う機会が少なくなってるんですかね。

「おー、そうやと思うよ。実際、俺もたくさん人の相談聞くようになってさ、価値観とか、人の見方変わったからね」

― そうですかー、人の言い分聞くのは大事なことですねー

「そうやと思うわー」

f:id:motoshiman:20170907072235j:plain

【鳴ル家を始めたきっかけ】

― そもそも晶さんは、なんで鳴ル家をやろうと思ったんですか?

「もともとは、プライベートで離婚とかいろいろ借金とかいろいろあって、それで家探してた時に、ここが空き家で、縁あって借りさせてもらえたんよ。それで、ここに住みながら、座敷を練習スペースにして、バンドの練習とかしとったんよね。

― そこをコミュニティスペースとして使おうと?

「そう。もともと、人の生き方とか、生活そのものに関心があって、いろんな人の生き方に触れたいという気持ちは大前提あってさ。それこそ、ひとのま(富山県高岡市のコミュニティハウスひとのまhttp://hitonoma.net/。誰でも来れる一軒家。そこで行われた音楽講座で初めて筆者と出会う)に初めて行った時、こういうのもいいなーというのは、なんとなくあったんやけどね。そんなころに娘が不安障害とかになって、不登校になったことが一番大きかったかな。それで、23年働いた会社辞めて、自分で場所を作ろうというのが一番の動機やったと思う。そっから、全国旅して、べてる(北海道浦河の精神障害者の共同生活や仕事作りをしているべてるの家)とか、いろんなとこ見て、さらに衝撃受けて」

― なんるほど。ちょっと情報量が多いので、晶さんの人生年表作ってみていいですか?

「おー、いいね、それ、おもしろそう!」

ということで、鳴ル家設立までの、晶さんの人生の来し方を振り返ってみることになった。

f:id:motoshiman:20170907072339j:plain

【孤立は最大の敵】

 小中高と、特に人に自慢するような武勇伝もなく、唯一、吹奏楽を続けたこと達成感としてあった。高校卒業後、電気メーカーに就職。製造や設計の仕事をしながら、音楽も続けた。仕事にバンドに充実した生活を送っていた。

 人の生き方や生活に興味を持ち始めたきっかけは、花屋さんで見かけたライブだった。いつの間にか演奏が始まり、お客さんの反応を見ながら、次々と変化していく演奏。その場でしか作れない音楽がそこにはあった。それは自分がやってきた音楽とは、まったく違うものだった。

 感動を抑えられず、ライブ後に、演奏していた人と話をさせてもらった。演奏後の疲れた状況にも関わらず、たくさん話をしてくれた。 

 そこで、語ってくれた人生観や、音楽観、生活そのものが音になっているところ。それらは今も晶さんの人生観に大きく影響を与えている。

 人はどんな風に生きるんだろう。自分は、どんな生き方ができるんだろう。そこへの関心が、今も活動の根底に流れているそうだ。

 その後、25歳で結婚。家を建て、2人の子供に恵まれる。順風満帆かに思われた人生。しかし、まだまだ大きな音は鳴る。

 夫婦関係に不協和音が流れ始め、新築の家を自分が出て別居。離婚。養育費と新築のローンを払いながらのアパート生活。次第に生活には疲れや孤独がやってくる。バンドでも人間関係が難しくなったり、困難は続く。

「周りには人はいたんよ。わいわいやって、楽しかったけどね。でも孤独やったわ。本音が言える人というか、弱音を言える人がおらんかったんかもね。いらん意地があったね」

 本当につらい部分や弱い部分を人に見せられず、知らず知らずのうちに孤立感が深まり、気が付いたら、それをギャンブルなどお金で解消していた。気が付けば、カードローンは膨らみ、何百万の借金ができていた。

 「このままではいかんと分かってるんやけどね、自分をどっかで肯定しようとしとったんよね。やっぱ孤立が最大の敵やわ」

 借金で身動きが取れなくなり、任意整理という法的な返済期間に入る。

新築のローンは、目途がついていた部分もあり、残りを放棄し、実家にお願いする。その過程で、実家の父親にも「お前はもう死ね」と厳しい言葉もぶつけられる。

 今度は、カードローン、養育費、を払いながらのダブルワーク生活が始まる。寝る間も惜しんで働き続ける生活は辛かった。しかし、これでダメになったら自分は終わりだと思い、必死に耐えた。そんな中でも養育費はきっちり払い、元妻にお金の相談をされたら、送金した。会社のボーナスを返済に充てるなど、真面目に頑張り、返済計画よりも、ずいぶんと速く完済し、銀行員を感心させた。

「逆にこれも意地やろね。あと、これ払わんかったら、もう二度と子供に会えんと思って、がんばったわ」

 長く暗いトンネルを抜け、ほっと一息ついたころ、ずっとお金のこと以外で連絡できなかった元妻とも、なぜか連絡ができるようになる。

「借金の事は、元妻は知らんかったからね。タイミングって不思議やわ」

 そして、ずっと連絡が取れていなかった中学生になる娘からも、突然連絡が入る。

何気ないメールのやり取りをする中で、眠れないこと、学校にも行けていないこと、などを相談してくれた。

「うれしかったよ。よくぞ言ってくれたという感じ」

 その頃、会社の中でも、長年頑張って務めてきた人を簡単に左遷したり、日本社会の世知辛い風が社内にも吹き荒れており、疑問を感じ始めていた。

 自分の周りにも、精神的に病んでしまう人はたくさんいた。

なんとかできないのか。それから、休みの日には、不登校児の居場所や、コミュニティスペースなどを見て回り、話を聞いて回った。その過程で、縁があり、相談支援の仕事に誘われる。

 その後、全国の場を見て回り、帰ってきたからは、相談支援の仕事に関わりながら、鳴ル家の整備や、地元富山のチンドン文化を継承しようと、仲間を集め、チンドンコンクールに出演。それが、話題となり、方々からオファーが来るようになり、地元のおじいちゃんらも声をかけてくれるようになった。f:id:motoshiman:20170907072423j:plain

【そこにあるものを生かす場】

「いやーこうやって振り返ると面白いねー」

― ですね。紆余曲折があったからこそ、今があるという部分もあるんですか?

「そうやね。今、あの時期を潜り抜けたことがエネルギーになっとる部分もあるね。自分もいろいろ失敗してきたからね。困っとる連中の気持ちに共感できる時も多いしね。」

― ギャンブルなど、依存で苦しんでる人は多いですね

「そうそう。今、依存については勉強しとってさ。やっぱ依存の根本には孤立があると思うんよね。自分の実感としてもそれはあるし、相談受けるようになってそれは強く感じるようになったし、その辺の繋がりをもっと勉強して、ここでも何かできないか、いろいろ考えとるよ」

― 困ってしまったり、疲れてしまった人とも、ここで一緒に何かやっていきたいと

「そうやね。まず、一緒に考えてみたいね。ぼーっとしとるでもいいし、話したければ話し聞くし。人生に正解はないからね。商売とかできたらいいなーとかあるけどね。一緒に。」

― いいですね。チンドンもその一環ですか?

「チンドンはね、もともとは、全国を回ってる時、震災後の熊本に行ってね、そこで、たばこ屋のおばちゃんと話してた時、自分の家のことより、熊本城が崩れたことがショックだと言っててさ。あー自分は、地元にあるものに、そんな愛情をもってないと思ってね。それで、自分の出来る事で、なんか地元に恩返しというか、愛情表現できたらいいなと思ったのがきっかけやね。(富山はチンドンが有名で全国のチンドンが集まりその技を競うコンクールが毎年開催されている)」

― それで、出てみたら、思わぬ反応があったと

「そやね、町の公報でとか新聞とかに取り上げられて、それから、町内のおじいさんに話しかけられたりしてね。来週も認知症の人達の駅伝みたいなイベントがあって、そこでやるわ」

― そういう、地域とのふれあいも大事にしたいと

「そうそう。文化とか生活とか、もうそこにあるものやからね。それをもっと生かすようなことがやれたらいいなと。チンドンとか、言い分シリーズやったり、集まる場所やったりして、なんか地元に返していけんかなーと思っとるよ」

― 人も、もともとそこにある資源ですからね

「そうそう。話してみれば、その人の言い分もわかる部分もあるし、いろんな人の生き方が交差する場所になればいいよね。持ちつ持たれつできる場になれば。」

― ありがとうございました。なかなか面白い話でした。まだまだ話足りませんが、また鳴ル家に話に来ます。

「おう、いつでもおいで」

f:id:motoshiman:20170907072500j:plain

(写真:左・晶さん、右・筆者)

  すでにそこにある文化。そこにいる人々。そこにある生活。

新しいものばかりを作ろうとせず、今あるものが、ちゃんと出会う機会を作る。

それが、晶さんの場作りのやり方だ。

 この近所に住む人達にとって、晶さんはどんな風に見えているのだろう。

近所のちょっと風変わりな兄ちゃんは、話してみるまでは、何をしでかすか分からない「不安要素」であったかもしれない。しかし、話してみると、「地域資源」でもあった。

 そこにあるのは、「話す」か「話さない」か「知る」か「知らない」かの違いだけだ。

 本当の資源は、補助金で新たに作るものだろうか。それは、すでにそこにあるのかもしれない。

 そこにすでにあるものを、資源として生かすために、必要な仕掛け、機会、時間、それが僕らの求める「場」なのかもしれない。

 これから鳴ル家が作る「場」はどんな音がするだろう。

 それは、きっと懐かしく、心地よい音楽に違いない。

 

お座敷処 鳴ル家 HPはこちら

www.naruya742.com

放置していた

ブログを放置しすぎていました。

最近は、講演などに呼んでいただくことも増え、ぼちぼちと出かけています。

全国には、いろんな場を作っている人達が、たくさんいますね。

このブログで、紹介していきたいと思います。

f:id:buzzcre8net:20170824111119j:plain