場作りネットレポート 「お座敷処 鳴ル家」
インタビュー 元島生 (場作りネット)
受け手 堀田晶 (お座敷処 鳴ル家)
富山県をどっしりと支える立山連峰。その立山の水をたっぷりと湛える広大な美しい田んぼ。そんな中に、お座敷処鳴ル家はありました。
主催しているのは、堀田晶さん(以下晶さん)。ボサボサの髪にひげの40男。
サックスを吹き鳴らし、たばこを吹かすジャズマンである彼は、一見すると厳ついおじさん。ところが、話してみると、まるで立山のようにどっしりと、田んぼのように広大な心を持った人なのでした。
話は、自ずと彼の人生の話、それから現代人の生活の話、場の必要性の話となりました。
僕らが「場」と呼んで、必要としているものは何なのか。
彼の「場作り」の中にも、その音は聞こえていました。
【言い分シリーズ】
仲夏のキラキラした田んぼが広がる牧歌的な風景の中、田んぼを見守るように、昔ながらの墓地があり、その向かい側に立つ一軒家。入り口には木の札に「鳴ル家」の文字。
「こんにちわー」インターホンを押して声をかけると「はいよー、上がってー」のんびりとした声。玄関には、ジャズのアーティストだろうか、外国人のポスターや置物。玄関を上がると、すぐに24畳の大座敷に、座布団が並べられている。大き目のソファーの上にはギター。仏間の前にはドラムセット。電子ピアノの後ろには、ライブやイベントのフライヤー。涼しい風と、セミの鳴き声、その中に心地いいジャズが流れている。
田舎のおばあちゃんの家に来たような、ライブハウスに来たような。
― 遅くなってすみません
「おお、ありがとね。今ね、久しぶりに○○から連絡来てさー」
スマホをいじりながら、のんびりと話す晶さん。
一度相談を受けたという、引きこもり気味の若者から連絡が入り、遊ぶ予定を立てているという。
「こっちで話そうかー」
大座敷の奥にある6畳くらいの部屋に通される。ソファーとパソコンの置いてあるデスク。本棚には、旅の本、音楽の本、心理学、「べてるの非援助論」「種田山頭火の生死」。
「ここ事務所にしててさ、いろいろ来てくれた人とかと話したりしてるんよー」
壁にかけてあるコルクボードには、ライブ告知のフライヤー、生活困窮相談窓口のチラシ、日本画の絵葉書、たくさんのメモ書きの束。
この部屋だけを見て、何をしている人の事務所かを判断するのは至難の業だ。
― あっちの大きな座敷は、どんな風に使ってるんですか?
「座敷はね、たまにスタジオっぽく練習とかに使ったり、ライブやったり、月火水は、ふらっと誰でも来れて、来た人同士が触れ合ったり、座敷を生かした交流スペースみたいな場所になればなって思っとってね。座敷の良さを味わってほしいというか、疲れとったら寝とってもいいし、寂しかったらおったらいいし、あと、この前言っとった(言い分シリーズ)とかいろんな企画やっていきたくてさ」
言い分シリーズとは、例えば「ホームレスの言い分」とか「行政職員の言い分」とか「引きこもりの言い分」とか、つまり、いろんな立場にある人の言い分を聞いてみる会。誹謗中傷は無し、批判、反論も無しで、本音(言い分)を語れ、聞ける場。
数日前に、そういう企画を考えていると言っていた。
紆余曲折あって(後述)長年勤めた会社を辞め、現在は、相談支援業務を仕事としながら、場づくりに励んでいる晶さん。いろんな人の相談を受けるたびに、人が分かり合う機会が少ないのではないかと感じてきた。
― 言い分シリーズはおもしろそうですね
「うん。社会全体にさ、情みたいなもんがなさすぎるよね。なんでも立場で縛られて、孤立しとる人いっぱいおるねか(富山弁)。でもそれは立場で縛られとるだけでさ、本音とかで話せばできることいっぱいあるんじゃないかと思うんよね」
― 人として出会う場とか、時間とかが、無くなってきて、分かり合う機会が少なくなってるんですかね。
「おー、そうやと思うよ。実際、俺もたくさん人の相談聞くようになってさ、価値観とか、人の見方変わったからね」
― そうですかー、人の言い分聞くのは大事なことですねー
「そうやと思うわー」
【鳴ル家を始めたきっかけ】
― そもそも晶さんは、なんで鳴ル家をやろうと思ったんですか?
「もともとは、プライベートで離婚とかいろいろ借金とかいろいろあって、それで家探してた時に、ここが空き家で、縁あって借りさせてもらえたんよ。それで、ここに住みながら、座敷を練習スペースにして、バンドの練習とかしとったんよね。
― そこをコミュニティスペースとして使おうと?
「そう。もともと、人の生き方とか、生活そのものに関心があって、いろんな人の生き方に触れたいという気持ちは大前提あってさ。それこそ、ひとのま(富山県高岡市のコミュニティハウスひとのまhttp://hitonoma.net/。誰でも来れる一軒家。そこで行われた音楽講座で初めて筆者と出会う)に初めて行った時、こういうのもいいなーというのは、なんとなくあったんやけどね。そんなころに娘が不安障害とかになって、不登校になったことが一番大きかったかな。それで、23年働いた会社辞めて、自分で場所を作ろうというのが一番の動機やったと思う。そっから、全国旅して、べてる(北海道浦河の精神障害者の共同生活や仕事作りをしているべてるの家)とか、いろんなとこ見て、さらに衝撃受けて」
― なんるほど。ちょっと情報量が多いので、晶さんの人生年表作ってみていいですか?
「おー、いいね、それ、おもしろそう!」
ということで、鳴ル家設立までの、晶さんの人生の来し方を振り返ってみることになった。
【孤立は最大の敵】
小中高と、特に人に自慢するような武勇伝もなく、唯一、吹奏楽を続けたこと達成感としてあった。高校卒業後、電気メーカーに就職。製造や設計の仕事をしながら、音楽も続けた。仕事にバンドに充実した生活を送っていた。
人の生き方や生活に興味を持ち始めたきっかけは、花屋さんで見かけたライブだった。いつの間にか演奏が始まり、お客さんの反応を見ながら、次々と変化していく演奏。その場でしか作れない音楽がそこにはあった。それは自分がやってきた音楽とは、まったく違うものだった。
感動を抑えられず、ライブ後に、演奏していた人と話をさせてもらった。演奏後の疲れた状況にも関わらず、たくさん話をしてくれた。
そこで、語ってくれた人生観や、音楽観、生活そのものが音になっているところ。それらは今も晶さんの人生観に大きく影響を与えている。
人はどんな風に生きるんだろう。自分は、どんな生き方ができるんだろう。そこへの関心が、今も活動の根底に流れているそうだ。
その後、25歳で結婚。家を建て、2人の子供に恵まれる。順風満帆かに思われた人生。しかし、まだまだ大きな音は鳴る。
夫婦関係に不協和音が流れ始め、新築の家を自分が出て別居。離婚。養育費と新築のローンを払いながらのアパート生活。次第に生活には疲れや孤独がやってくる。バンドでも人間関係が難しくなったり、困難は続く。
「周りには人はいたんよ。わいわいやって、楽しかったけどね。でも孤独やったわ。本音が言える人というか、弱音を言える人がおらんかったんかもね。いらん意地があったね」
本当につらい部分や弱い部分を人に見せられず、知らず知らずのうちに孤立感が深まり、気が付いたら、それをギャンブルなどお金で解消していた。気が付けば、カードローンは膨らみ、何百万の借金ができていた。
「このままではいかんと分かってるんやけどね、自分をどっかで肯定しようとしとったんよね。やっぱ孤立が最大の敵やわ」
借金で身動きが取れなくなり、任意整理という法的な返済期間に入る。
新築のローンは、目途がついていた部分もあり、残りを放棄し、実家にお願いする。その過程で、実家の父親にも「お前はもう死ね」と厳しい言葉もぶつけられる。
今度は、カードローン、養育費、を払いながらのダブルワーク生活が始まる。寝る間も惜しんで働き続ける生活は辛かった。しかし、これでダメになったら自分は終わりだと思い、必死に耐えた。そんな中でも養育費はきっちり払い、元妻にお金の相談をされたら、送金した。会社のボーナスを返済に充てるなど、真面目に頑張り、返済計画よりも、ずいぶんと速く完済し、銀行員を感心させた。
「逆にこれも意地やろね。あと、これ払わんかったら、もう二度と子供に会えんと思って、がんばったわ」
長く暗いトンネルを抜け、ほっと一息ついたころ、ずっとお金のこと以外で連絡できなかった元妻とも、なぜか連絡ができるようになる。
「借金の事は、元妻は知らんかったからね。タイミングって不思議やわ」
そして、ずっと連絡が取れていなかった中学生になる娘からも、突然連絡が入る。
何気ないメールのやり取りをする中で、眠れないこと、学校にも行けていないこと、などを相談してくれた。
「うれしかったよ。よくぞ言ってくれたという感じ」
その頃、会社の中でも、長年頑張って務めてきた人を簡単に左遷したり、日本社会の世知辛い風が社内にも吹き荒れており、疑問を感じ始めていた。
自分の周りにも、精神的に病んでしまう人はたくさんいた。
なんとかできないのか。それから、休みの日には、不登校児の居場所や、コミュニティスペースなどを見て回り、話を聞いて回った。その過程で、縁があり、相談支援の仕事に誘われる。
その後、全国の場を見て回り、帰ってきたからは、相談支援の仕事に関わりながら、鳴ル家の整備や、地元富山のチンドン文化を継承しようと、仲間を集め、チンドンコンクールに出演。それが、話題となり、方々からオファーが来るようになり、地元のおじいちゃんらも声をかけてくれるようになった。
【そこにあるものを生かす場】
「いやーこうやって振り返ると面白いねー」
― ですね。紆余曲折があったからこそ、今があるという部分もあるんですか?
「そうやね。今、あの時期を潜り抜けたことがエネルギーになっとる部分もあるね。自分もいろいろ失敗してきたからね。困っとる連中の気持ちに共感できる時も多いしね。」
― ギャンブルなど、依存で苦しんでる人は多いですね
「そうそう。今、依存については勉強しとってさ。やっぱ依存の根本には孤立があると思うんよね。自分の実感としてもそれはあるし、相談受けるようになってそれは強く感じるようになったし、その辺の繋がりをもっと勉強して、ここでも何かできないか、いろいろ考えとるよ」
― 困ってしまったり、疲れてしまった人とも、ここで一緒に何かやっていきたいと
「そうやね。まず、一緒に考えてみたいね。ぼーっとしとるでもいいし、話したければ話し聞くし。人生に正解はないからね。商売とかできたらいいなーとかあるけどね。一緒に。」
― いいですね。チンドンもその一環ですか?
「チンドンはね、もともとは、全国を回ってる時、震災後の熊本に行ってね、そこで、たばこ屋のおばちゃんと話してた時、自分の家のことより、熊本城が崩れたことがショックだと言っててさ。あー自分は、地元にあるものに、そんな愛情をもってないと思ってね。それで、自分の出来る事で、なんか地元に恩返しというか、愛情表現できたらいいなと思ったのがきっかけやね。(富山はチンドンが有名で全国のチンドンが集まりその技を競うコンクールが毎年開催されている)」
― それで、出てみたら、思わぬ反応があったと
「そやね、町の公報でとか新聞とかに取り上げられて、それから、町内のおじいさんに話しかけられたりしてね。来週も認知症の人達の駅伝みたいなイベントがあって、そこでやるわ」
― そういう、地域とのふれあいも大事にしたいと
「そうそう。文化とか生活とか、もうそこにあるものやからね。それをもっと生かすようなことがやれたらいいなと。チンドンとか、言い分シリーズやったり、集まる場所やったりして、なんか地元に返していけんかなーと思っとるよ」
― 人も、もともとそこにある資源ですからね
「そうそう。話してみれば、その人の言い分もわかる部分もあるし、いろんな人の生き方が交差する場所になればいいよね。持ちつ持たれつできる場になれば。」
― ありがとうございました。なかなか面白い話でした。まだまだ話足りませんが、また鳴ル家に話に来ます。
「おう、いつでもおいで」
(写真:左・晶さん、右・筆者)
すでにそこにある文化。そこにいる人々。そこにある生活。
新しいものばかりを作ろうとせず、今あるものが、ちゃんと出会う機会を作る。
それが、晶さんの場作りのやり方だ。
この近所に住む人達にとって、晶さんはどんな風に見えているのだろう。
近所のちょっと風変わりな兄ちゃんは、話してみるまでは、何をしでかすか分からない「不安要素」であったかもしれない。しかし、話してみると、「地域資源」でもあった。
そこにあるのは、「話す」か「話さない」か「知る」か「知らない」かの違いだけだ。
本当の資源は、補助金で新たに作るものだろうか。それは、すでにそこにあるのかもしれない。
そこにすでにあるものを、資源として生かすために、必要な仕掛け、機会、時間、それが僕らの求める「場」なのかもしれない。
これから鳴ル家が作る「場」はどんな音がするだろう。
それは、きっと懐かしく、心地よい音楽に違いない。
お座敷処 鳴ル家 HPはこちら