NPO法人場作りネット 

目指すのではなく、すでに実現する

(長編コラム) かもしれない社会 鹿児島

鹿児島でのこと。

県の生活困窮者支援の担当者向けの研修ということで、呼んでもらった。

前日入りして、今回声をかけてくれたNPOの代表が経営している福祉施設を見学させてもらうおうと、ホテルを出た。

見知らぬ土地で財布を持ち歩くのに気が引けて、僕は1万円札だけポケットに入れてホテルを出た。

ホテルからは市電に乗る必要があったので、駅前の乗り場から乗り込んだ。

1万円札しか持っていないので、すぐ運転席に行き、出発前に1万円を両替できるか聞いた(降りる時に100円~300円程度を払うシステムのため)

「あーどこまで行かれますか?」

「えっと荒田八幡です」

「あーそれならで乗り換えなんで、乗り換えた電車で両替できると思いますんで、そこでやってもらってください」

「あー分かりました。ありがとうございます。

と、そんなやりとりをして電車は出発した。

車掌さんは出発時間は来ているのに、嫌な顔一つせず丁寧に対応してくれた。

なんだか、ゆっくりだなー

これが鹿児島という土地に初めに抱いた感想だった。

このあとそれに追い打ちが続くことになる。

 

乗り換え場所で降りて、乗り換えの停車場を探していたがよくわからない。

キョロキョロしていると、次の電車が入ってきて、窓から車掌さんが声をかけてきた。

「どこまで行くの?」

「荒田八幡です」

「それならあっちだよ」

少し離れた停車場を教えてくれた。

お礼を言ってそこへ向かった。

ますますゆっくりな気持ちになる。

しばらく待って乗り換えの電車が来た。

僕は乗り込み、すぐに運転席に向かった。

「あの1万円両替お願いします」

「あー、ありませんね」

え?

さっき両替出来るって車掌さん言ってたのに…?

僕は少し面食らったが、まぁそもそも小銭をもってきていない僕がいけないんだし、降りるか。

いやいや、でもここまで乗ってきてるし、どうしたらいいだろう。

少々混乱していると

「あの今からお客さんに両替できる人いないか聞いてみますから、いたらその人にやってもらってください」

「え?」

「出発しまーす」

プシュー(ドアの閉まる音)

電車は発車してしまった。僕の脳は鹿児島のゆっくりさに、完全に油断しており、意味を呑み込めず、今度は逆にこの事態に置いて行かれていた。

すると車掌さんがマイクでアナウンスし始めた

「ただいま、1万円の両替を必要としているお客さまがおられます。どなたかお客様の中で両替できる方がいらっしゃいましたら、ご協力お願いします」

うわ~

冷や汗が出た。

恥ずかしいやら、不安やら。

誰も名乗りを上げてくれなかったらどうするんだ…

直視することも出来ず、下を向き、チラチラと車内を見るが、名乗りを上げてくれる人はいなかった。

車掌さんを見るが、落ち着きはらっている。

冷や汗で背中が気持ち悪い。

誰も両替してくれる人は現れない。

人相が悪いからか…偶然誰ももっていないのか…

いやいや、それはどうでもいいが、これどうするんだろう。

終点とかまで行かなきゃいけないかな。

そんなことを考えていた時。

トントンと僕の肩を叩き、若い女性が話しかけてきた。

「あの?一人分ですか?」

その質問もうまく呑み込めないまま答えた。

「あ、はい」

すると

「これよかったら」

といって女性は200円を僕に渡してくれた。

またもや僕はその意図が瞬時には呑み込めなかった。

「ん?え?あ、すみません、いいんですか?」

女性はうなずき、戻っていった。

冷や汗が腰のあたりに流れた。

車掌を見た

「次は荒田八幡、荒田八幡」

実に落ち着きはらっている。

これはいったいなんなんだ。

動揺を抑えつつ、料金表示を見ると、170円。

僕は両替機で200円を両替し、さっきの彼女の所へ行き、逆に肩を叩いた。

「あの、すみません。ありがとうございます」

僕が30円を渡すと、今度は彼女の方が、一瞬意図を呑み込めず

「え?あ、はい」

と受け取った。

それから1~2分くらいで電車は目的地に着いた。

なんと長い1~2分だっただろう。

最後にもう一度声をかけようと思ったが、やめておいた。

周りの目もあるし、何度も声をかけるのは気持ち悪いかもしれない。

思い切ってそのまま電車を降ることにした。

「ありがとうございました~」

車掌よ。

君はなぜ故にそんなに落ち着きはらっているのだ。

そんな不思議に打たれながら。僕は電車を降りたのだった。

 

 電車は行ってしまった。

僕は彼女にどうお礼をすればよいだろう。

連絡先聞いておけばよかった。

いやそれは逆に失礼だろ、若い女性に。

じゃどうすればよかったのだろう。

冷や汗をかいた身体には、さすがの鹿児島の風も冷たかった。

しばらくして、スタッフの人が迎えに来てくれた。

「電車分かりましたー?」

「ええちょっと分からなかったけど。あのね」

僕は迎えに来てくれた女性スタッフに、少々興奮気味に先ほどまでの事を話した。

「あーそれはよく聞きますね」

「え?よくあることなの?」

「そのアナウンスはたまに聞きますね。お金もらうのはレアだと思うんですけど(笑)」

そのことに驚いたが、またその女性スタッフがとても素直でいい人で、素敵な人だった。

施設に着くまでの間、何人かとすれ違っては「お疲れ様でーす」なんて挨拶を交わしている。

「みんな知り合いなの?」

「いやいや(笑)、ちょうどいま退勤時間なんですよ~」

施設に着いてからも、みんないい人で僕を笑わせてくれた。

こうなってはもう、誰を見ても何を見ても感動するモードに入っていたかもしれない。

 

夜。

飲み会も兼ねて、明日の打ち合わせをした。

県の課長さんや、社協の職員さんも来て、

その場で、今日の僕の「鹿児島ショック」を話した。

すると

「あーそれはたまに聞きますね~」

「あ~それね、お金足りなくても(次から払ってね)で、許してくれるんだよ」

もう僕は衝撃がとまらなかった。

話は鹿児島の緩さに及んだ。

タクシーでもメーターが持ち金を超えそうな時、ここら辺でいいですと言うと、運転手さんがどこまでか聞いて、近くであればメーター止めて行ってくれるとか。

代行も持ち金で交渉して、載せてくれることがあるとか。

「まあお金なくても何とかなるかな~という感覚はあるかもね~」

との事。

たしかにその緩さは町全体に漂っている気がした。

そして次の日にもそれを感じさせる場面があった。

駅まで車で迎えに来てもらっており、停車してある車の元へ向かっている時、駅のロータリーにアナウンスが流れた。

「ナンバー○○の車、移動してくださいー」

僕は急いで乗り込んだ。

これもまた、衝撃だった。

早朝からまたもや鹿児島ショックにさらされた。

 

つまり、鹿児島にはあらゆるところに交渉の余地がある。

「お客さんに聞けば誰か両替してくれるかもしれない

という余地

「交渉してみれば、載せてくれるかもしれない

という余

「言えば車をどかしてくれるかもしれない

という余地。

鹿児島には人間という凸凹な生き物に対する「余地」「隙間」「許し」がまだ残っている。

NPO法人ハンズオン埼玉の西川さんの言葉を借りると「あそび」という隙間。

 

日本社会はこの余地をことごとく無くしてきた。

例えば、市電の釣銭が用意されていなかったこと。

これは、利用する消費者からしたら「釣銭を用意していない会社の不備」という風に責任を求めるようになっている。

逆に会社からしたら、(1万円は両替できません)などとあらかじめ明記し「お金をもって来ていない人の自己責任」とする。

つまり、どこをどう切り取ってもどこかに責任の所在があるように作られてきている。

トラブルを未然に防ぐために、あらゆる隙間を埋めてきたことが「自己責任論」を増長させる要因でもある。

それは人間関係の構築にも影響している。

無料通話サービスlineでは、メールを送り、送った相手がメッセージを開くと「既読」という表示が出る。

待ち合わせで来るかも分からぬ相手を待ったり、手紙の返事を今か今かと待ったり。

そういう時間は許されなくなっている。「既読」には読んだからには返事が出来るはずだという責任の所在を明らかにするメッセージが感じられる。

僕自身は市電で両替ができなかった時「かもしれない」と思えなかった。

自己責任だというメッセージに勝手に怯えていた。

車掌の落ち着きには、まぁそんなやつもいるよね、という人間のダメさに対しての許容が、ごく自然にあったのかもしれない。

僕みたいなうっかりした人間がいたとしても、まあ許してもいいんじゃない。

というあそびの部分がシステムの中に許されている。

人口のほとんどいないような島ならそれも分かるが、鹿児島市は人口60万人の市だ。

僕はそこに、なにか希望めいたものを感じていた。

そんな気持ちを持ったまま、研修会場に向かった。

 

生活困窮者支援に関わるあらゆる部署からの報告と、事例を通した研修。

僕は研修を担当した。

実際の事例を通して、グループワークをしてもらった。

そして今回感じたのは、支援の現場にも、隙間を許さないという理論は根深く侵入しているということ。

つまり支援者は、「責任の所在が明らかな事」しか業務として認められない。

行政機関になればそれは顕著に表れる。

しかし、支援者とは、まぎれもなく「人」を相手にする仕事だ。

しかも、その「人」は大方が社会に隙間がないがゆえに、排除された人々である。

支援現場に隙間を取り戻していく。

これはとても大変なことだ。

今回の事例を解き明かしていくと、若き支援者が、業務の範囲を超えたところで相談者と関係を構築していったプロセスが明らかになっていった。

そのプロセスが、相談者にとって必要であったということを言語化できたのはよかった。

つまり「あそんでいる」と同僚から思われているような業務の中に、相談者が安心するポイントがあった。

支援者側に余地(あそび)があった時に、相談者側に生まれた気持ちは「この人に相談したらなんとかなるかもしれない」という余地だったのではないだろうか。

 

人はどんな時に自ら命を絶つのだろう。

お金が無くなった時だろうか。

仕事や友達がいなくなった時だろうか。

それは「まだ大丈夫かもしれない」と思えなくなった時なのではないだろうか。

支援の現場に「かもしれない」という余地、隙間、あそびを取り戻していくことは、そういう意味において、意識される必要がある。

そして言うまでもなく、我々が暮らす社会に、その隙間をどう取り戻していくのかということが、取り組まれる必要がある。

どんな場を作るのか。

どうやって生きていくのか。

僕にとって毎日がその実践の場だ。

 

僕らの生きる道

 

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富山駅の駅地下に越冬物資を届けに行きました。

北陸で野宿生活をするというのは、まさに命がけ。

数日前に、どなたかが路上で亡くなっていたというニュースを見て、いてもたってもいられず、場作りメンバーの晶さんと、駅地下に行ってきました。

 

炊き出しで知り合った野宿のおっちゃんに、防寒のズボンや若干の食料を渡し、いろいろとお話ししました。

富山駅下には、おっちゃんの他にも数人おられますが、込み入った話はしないとのこと。

「みんな触れられたくない事あるからな」

なんとなく、それぞれの事情に気遣いながら生活しているようでした。

 

こういう暮らしをしなければいけない人が日本にはたくさんいます。

僕たち若い世代にも、不安定な状況でしか働き口が無く、結婚もできないという人はたくさんいます。

そして一様に「自分が悪い」と言います。

 

そういう声を聞くたびに僕は悔しくなります。

僕ら世代は、社会からバカにされている

そう思ってしまいます。

 

僕らは僕らの生きる道を作っていくしかない。

新しい働き方や、新しい暮らし方、助け合うコミュニティを作っていく。

 

いろんな縁で出会う人たちと一緒に、来年も場作りチャレンジしていきたいです。

今年もお世話になりました。

来年も紆余曲折!暗中模索!

しかし楽しくやっていきましょう!

どうぞよろしくお願いします!

 

 

 

 

しんどいなぁ会議 忘年鍋

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しんどい人の集まり場「しんどいなぁ会議」

忘年鍋に参加しました。

みんなで買い出し行って、JAZZ聴きながらゆる~く鍋。

しんどい話はもちろん出ますが、いろんな話になり、結構笑ってることが多いな~と思います。

 

来年は、しんどい人の家に行って開催しようという話になりました。

少人数がいいという話にも。

ということで、来年の基本スタイルは、「少人数の出張しんどいなぁ会議」になりそうです。

まぁぼちぼちとやると思います。

しんどい人はぜひどうぞ。

 

今年は「しんどいなぁ女子会」や「しんどいなぁ会議in横浜」も開かれるなど、広がりを見せたしんどいなぁ会議。

いろんな人が主催者になって、いろんな種類の語り合う場が出来ていくといいなと思います。

 

 場作りネットとしても応援していきたいと思います。

 

 

 

居場所コラム(はーとほっとねっと1月号寄稿 元島生)

「おっちゃん!なんでここに住んでんの?」

「ん?なんでやろな~。じゃまか?」
「ううん。別にええよ。俺も後ろに基地作るし」
「さよか。ジュース飲むか?」
「ええの?」
「かまへんよ」
「おおきに」
「おう」


「おっちゃん!おるか?」
「ん?あの時の坊主か」
「おっちゃん。これ預かってくれへん?」
「なんや。テストか」
「うん。家もって帰ったらしこたま怒られんねん」
「捨てたらええやんけ」
「いや、持っててほしいねん」
「まあええよ。そこ置いとき」
「ありがとう」

学校帰り。いつものようにおっちゃんのいる公園に寄った。
柵がしてあり、入れなくなっていた。
おっちゃんのダンボールの家はグチャグチャになって隅っこにあった。

「なあなあおばちゃん。ここ何で入られへんの?」

「あーこれな。ホームレスが住みよるやろ」
「ホームレスてなんや?」
「家無い人の事や」
「家あったやんけ」
「あんなもん家ちゃうわ~。みんな迷惑しとったやろ」
「してへんよ!家壊すなよ!俺の基地もあってんぞ」
「そんなんおばちゃんに言われてもホームレスのせいやがな」
「違うわ!大人のせいやろがい!」

強制撤去が行われたのは、近く国際会議が行われるからだった。
オリンピック開催でも、ホームレスの排除オブジェが作られている。
富山も例外はない。
夜中、駅周辺に水を撒く自治体もある。
公園に住まざるを得なかったおっちゃんの家が強制的に壊される光景。
子どもの居場所と、おっちゃんの居場所は国際会議のために奪われたのだった。
おっちゃんが安心して居れる場所をどう作るか。ではなく、どうやって排除するか。
そういうマインドセットで税金や芸術が使われている間は、どんな居場所を作っても、僕らの社会は居場所のない社会なのではないだろうか。
「持っててほしいねん」
そう言った子どもの心に思いを馳せたい。
我々大人は彼の心の最も大切なところを排除する社会を作ってしまっている。

 

 

【場のレポート】 「バツイチ」から「マルイチ」へ。マルイチ倶楽部という希望。  場作りネット 元島生

マルイチ倶楽部という大人のクラブ活動がある。

もともとは「バツイチ倶楽部」という名前で活動していた離婚経験のある人の集まりであるが、お話し会を覗いてみると、離婚経験どころか結婚経験のない人も数名参加していて、にぎやか。敷居が低く、誰でも参加できそうな、なんだかほっとする集まりだった。

設立した女性は、いろんなことがあって、離婚。子ども手放すという辛い経験をした。

そして離婚は、「お嫁さん」「奥さん」「お母さん」いろんな社会的立場をも奪っていった。

友人とも付き合いづらくなり、もう自分には仕事しかないと、一心不乱に十数年間仕事を頑張った。
しかし、それは、傷を覆い隠すための頑張りであり、やがてうまくいかなくなり引きこもってしまう。
引きこもっている間は、精神的追いつめられていた。
やがてアルバイトを始めることが出来たが、仕事と家だけの生活ではバランスが取れず、もうひとつの居場所を探す中で「コミュニティハウスひとのま」というコミュニティスペースに通うようになる。

そこで、いろんな世代や立場の人たちと触れ合う中で、自分が抱えてきた問題も、客観的に眺めるようになる。

やはり自分にとって克服したい一番ポイントは離婚したときの事だった。そのことを話したいという気持ちが強くなっていく。

そうしてバツイチクラブを結成する。

女性は当初をこう振り返る「バツイチを自虐ネタとしておもしろがれたらいいなーという感じでした(笑)バツイチの事を話せたら楽になれるかもという思いもなんとなくありました」

雑多に人が溜まるコミュニティハウスでは、自分のマイナスだと思ってきた事を気兼ねなく話ができて、それを周りも受け入れてくれるという安心感を、ゆっくりと「人の中」で得たのかもしれない。

 

結成の動機はそういう笑いの雰囲気から始まったバツイチ倶楽部。

月に一回集まりを開き、思いを吐き出したり、聞いたりするうちに、バツイチは☓ではない。むしろ○だと思えることができるようになり、バツイチクラブからマルイチ倶楽部に改名した。


 ある男性は、離婚して傷を抱え、悶々と苦しんでいた折に、バツイチクラブのチラシを見つけ、参加。

元来、思いを人に話したり、相談したりするようなことが苦手タイプで、自分の中にため込む性格だった。

「無意識のうちに吐き出す場を求めていたのではないか」と本人は分析する。
バツイチクラブで自分の思いを言葉にして出すことで、自分の思いを整理することができた。

「一人で考えていたら、どうしても堂々巡りになる」

 

結成から3年ほどが経つ現在も、月に一回のお話し会や、「ラブイチ」というスピンオフ企画なども行っている。

「バツイチの事をしゃべるより、現在の生活に目を向けることが多いですね。無理やり過去の話をする必要はないし、いろんな話をしています」

そこもいいなーと思う。

人間、生きていればいろんな出来事が起こる。そして全ての人の人生にストーリーがあり、それをどう捉えるかも、人それぞれの段階がある。ただそのストーリーが肯定的な意味を持つきっかけとなるのは、それを語る場と、聞いてくれる人の存在なのかもしれない。

 

「バツイチ」社会的には否定的なイメージとストーリーを連想されるこの言葉を、何気なく集まった小市民がひっくり返してしまう。

そういう事が我々にはできるかもしれない。

なんでもない小さな僕たちが、小さく文化を変えていくことが。

生きずらい世の中に、生きる場を少しずつ増やしていくことが。

こういう場が市民の手で何気なく作られ、そこに人が集まって、人々の意識が「ふと」変わっていく。そのことに僕は安心感を感じるし、この国の希望を感じる。

そこに僕たちの希望をかけたいと思う。

僕はバツイチではないが、僕もまた参加したい。そう思える、なんだか温かい、希望の場所だった。

9月22日 場作りんぐ開催しました。

場作リングを開催しました。

「こんな場があったらいいなー」を実現する一日。

いろんな場が集まりました。

創作品のお店あり、タロット雑談あり、コミュニティ麻雀あり。カフェあり。

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外はあいにくの雨でしたが、七輪も青空マージャンも、街の保健室もやりました。

 

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ナスを焼くナース

ナスを焼きつつ、血圧を測りつつ、健康相談にのる楽しい街の看護婦。

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ライブも。。。

 

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釣り部は早朝から大量に釣ってきてくれました!

 

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麻雀もはじめてあった人が仲良くなるにはなかなかいいですね。

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昨今、お金が無いと楽しめないような祭りが多いですが、そうではない楽しい場を作れたらいいなと思います。

こういうイベントは特に大変なことはなく、「こんな場をやってみたい」というのが集まるだけ。

また気軽にまたやってみたいと思います。

 

公開ヒソヒソ話の報告(fecebook2016.8.1より)

第一回「公開ヒソヒソ話」(高岡駅B1ステージ)
場作りネット名義では初の企画。

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ここはひとつ始球式から始めようという事になっていました。
しかし!そこでさっそく事件は起こりました。

...

迷惑にならないタイミングを見計らい、ピッチャーの江川さん(本名)がスタンバイし、元島がキャッチャーの位置につくと、ちょうど左バッターボックスの位置に知らないおじさんが。
「何やっとんのや?場作りって何?場作り言うたって何作るんじゃ?」
真っ赤なポロシャツ。ボサボサの髪。汚れた靴。きつく締めたベルト。サイズの合ってないヨレヨレのズボン。
強烈な個性を放ちながら、矢継ぎ早に「場作り」についての素直な質問を投げかける、いわゆる最近見かけなくなったタイプのおじさん。
僕(元島)は気が付くとカラーバットを手渡していました。
すると、質問を繰り出しながらも素直にバッターボックスに付き、ピッチャーの方に構えるおじさん。
投げる江川。降るおじさん。何が起こったか理解できない観衆。
バットを降り終わるや否や、矢継ぎ早に質問を繰り広げるおじさん。
あっけにとられる観衆。再度バットを渡す元島。質問を繰り広げながらも構えるおじさん。投げる江川。降るおじさん。
笑う観衆。拍手。
ということで、場作りネット第一回公開ヒソヒソ話は、波乱の幕を開けたのでした。

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その後も「どこからがセクハラか」という質問をしまくるおじさんにも「まあまあ座って」と仲間に入ってもらい、車座になって話は始まりました(笑)

今回のイベント、宣伝は元島のフェイスブックページの投稿のみ。
一週間前にお知らせした程度でしたが、心のアンテナに何かをキャッチした6名(おじさん含む)、それに場作り運営メンバー4名、計10名が参加しました。

自己紹介は名前と「作りたい場・あったらいいなと思う場」
・物作りして、それを気軽に売ったり展示できるような場
・町の保健室を作りたい
・のんびりしてもらえるようなカフェをやりたい
・弱音を吐ける場が欲しい(ネガティブを言える場)
・仕事のグチ言える場(仕事で辛い思いしている人多い)
・激論する場が欲しい(朝まで生TVの田原役がやりたい)(おじさん)
・商売を始めたい。同じ志を持つ人が集まり情報交換できる場
・自分でやるよりフォロー役がいいので(黒子集団・黒子派遣)
・仕事作りがやりたい
・青空マージャン(外でやってたらコミュニティが生まれるかも)
・ハードルの低い婚活(自然な出会いの場)
・しんどいカラオケ(盛り上がらなくていい)
・七輪でコミュニティ作り
と、いろいろ出ました。
出れば出るほど、話はリンクし合ったり、重なったりしながら、さらなるアイデアを生んでいく。面白いミーティングでした。
おじさんは「正直言わしてもらうとな」とずっと正直に言っていました(笑)

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外で何かやるってのは、コミュニティ作りができて大事だなーとか。
多様な場があること自体が大事だなーとか。
多少不出来な場でも、応援することで、多様な生き方を許容するような風土作りになる思うので、場を認めていくことが大事だとか。
そんな大切な話も出ました。

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せっかく出た場のアイデアを生かそうということで、作りたい場を定期的に形にするイベントをやってみようという話になりました。
名付けて【場作りんぐ】

【場作りんぐ】
(場作り)と(ing)を足した造語。場作り現在進行形という意味。
やってみたい場を実現してみるイベントの名称。
商品ではなく場が集まるイベント。

ということで、【場作りんぐ】を9月22日(秋分の日)に行います
場所はコミュニティハウスひとのま http://hitonoma.net/
乞うご期待。

ちなみに、自己紹介でおじさんの名前はイチローだったことが分かり図らずも始球式は、江川VSイチローであったことをここに報告しておきます。